泣いても笑っても日日是好日

人生は一期一会の連続。平凡な毎日でも、泣いても笑っても…

古都大宰府を歩く…大宰府政庁跡、岩屋城跡

 

 

いつもは、記事を書くのがとても楽しいのですが、最近スランプというか、パソコンを開く気にもなれず(尤もパソコンの調子もあまりよくない)、ご無沙汰してしまいました。

すみません。

 

で、遅ればせながら、やっと前回の続きを書き終えましたので投稿しますね。

 

 

前回はウォーキングをするために太宰府を訪れて、まず令和ゆかりの坂本八幡宮に行ったお話をしました。

 

gracedusoleil252525.hatenablog.com

 

 

今日はその続きのお話です。

 

本八幡宮から元来た道に戻り、次は大宰府政庁跡に行きました。

 

 

大宰府政庁とは、奈良~平安時代にかけて九州を治めた役所です。

また、外国使節の応対や、外国が攻めてきたときの防衛のための役割もはたしていました。

一番栄えていた時は、1000人もの役人がいたそうです。

 

 

大宰府政庁は、3回にわたって建て替えられていて、今は礎石が残っているだけです。

 

正直、広い原っぱに礎石がポンポンとあるだけの、何がなんだかさっぱり分からないところだったので、政庁跡を見た後に隣接している太宰府展示館に入りました。

 

太宰府展示館で展示物を見学していると、解説員の方が来て、

「分からないことがあったら、聞いてくださいね。」

と、言ってくださいました。

 

そこで、

「すべて、分かりません。」(←申し訳ない)

と言ったら、笑って展示室の入り口から順を追って、丁寧に説明して下さいました。

 

ここからは、写真と一緒にお話ししますね。

 

とは言うものの、先ほども書いたように大宰府政庁跡は広いし、礎石があるだけで高さがないので、写真でみても偏平で、分かりづらいかもしれません‥‥。


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大宰府政庁復元模型

大宰府展示館展示品から

 

瓦葺きの屋根に赤い柱。

美しいですね。

でも、この赤い色は…他の都城から想像した色で、赤い塗料が出土したわけではないそうです。

 

名称を書くと、

 

①南門

②西脇殿

③東脇殿

④広場

⑤正殿

 

これが、どこに相当するかと言うと、

 

① 南門跡。

② 西脇殿跡。


 


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➃ 広場跡。
正面の草むらが、⑤正殿あとでしょうか。

 


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どこに相当するかよくわからない築地あと。(苦笑)

 

どこら辺かよくわからない礎石。(あらぁ~)

 

築地跡と、礎石跡は、どの辺の写真か分からなくなったので、参考ということで。

すみません。

 

明治時代以降に作られた、大宰府政庁跡を示す石碑もあります。

 

そして、大宰府の町ですが、条坊制の町でした。

条坊制とは、京都の町並みみたい碁盤の目で区切られた町並みをいいます。


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引用:古都大宰府保存協会公式ホームページより

 

 

 

では、大宰府の街の規模は、どれくらいの規模だったのでしょう。

因みに平城京も、大宰府もモデルは、唐の長安です。


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大宰府展示館のキャプションより

 

黒で塗り潰されているところは、役所だと思われます。

 

大宰府は、「遠の朝廷」と言われるけど、街は小さいですね。

面積にして平城京の4分の1もありません。

 

更に、長安大宰府の約50倍、平城京の9倍の大きさ。

長安は、桁違いの大都市だったのでしょうね。

遣唐使は、その大きさ、賑やかさにど胆を抜かれたのではないでしょうか。

 

 

さて、大宰府展示館で、1時間みっちり講義を受けたあと、

「四王寺山の、岩屋城跡はすごく景色がいいんだよ。もっと、アピールしていいくらい。車なら行ってごらん。」

と言われました。

 

で、ウォーキングを一旦やめて、その代わり岩屋城跡の素晴らしい景色を見に行くことにしました。

 

 

 

岩屋城とは、四王寺山にあるお城です。

 

ときは安土桃山時代

 

鹿児島の島津氏が、九州を平定しようと北上してきました。

 

岩屋城を守るのは、大分に拠点を持っていた大友氏の武将高橋紹運(1548~1586)。

 

高橋紹運は、700人余りの兵で2万もの島津の兵を2ヶ月間惹き付けた猛将で、最後は全員討ち死にします。

 

一方、勝ったとはいえ、岩屋城の戦いでかなりの戦力を消耗した島津軍も、この8か月後、九州に出兵してきた豊臣秀吉(1537~1598)に降伏することとなります。

 

因みに、高橋紹運の長子が立花宗茂(1567~1643)で、後の柳川藩主となります。

 

福岡では、男勝りであった立花宗茂の奥さんの誾千代〈ぎんちよ〉(1569~1602)も有名で、大河ドラマを誘致しようという動きがあるんですよ!

 

それでは、岩屋城跡に行ってみましょう。

 

岩屋城跡は、駐車場がないので、展示館の解説員さんに教えてもらったとおり、少し道が広くなっているところに、車を止めました。

他の車は、ほとんど来ません。

 

 

この、階段を登っていきます。



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岩屋城址の石碑

 

 

 

確かに、ここからの眺めは見晴らしがいい。

なるほど、島津軍が攻めてきても、すぐに分かります。

 

 

 

 

東の宝満山から、南を経由させて西の方を写真でとってみました。

 

真ん中の山は霊山宝満山です。

 

 

左端の色のちょっと薄い円錐形のきれいな山は、先日書いた記事でちょっと触れた大根地山です。

(参照 ↓)

あれあれ、こんなところにこんなものが…娘と夫と日拝塚古墳 - 泣いても笑っても日日是好日

 

右端にぼうっと、遠くかすかに、耳縄連山(みのうれんざん)が見えます。

この写真では写っていませんが、耳納連山の西の端に高良山があります。

高良山には、高良玉垂神がまつられいる高良大社があります。

真ん中の青い屋根の建物は九州国立博物館です。

 

 

真ん中より、少し右手に基山がみえます。

白村江の戦い(663年)の後に作られた、古代の山城の基肄城(きいじょう)があったところです。

 

 

真ん中よりすこしだけ左よりの薄く見える山が福岡県で一番高い山である脊振山です。

 

昔は岩屋城跡から、海も見えたそうです。

 

参考までに、地図を載せますね。

 

①四王寺山

宝満山

➂大根地山

高良山

⑤基山

背振山

 

直線は、ざっとですが耳納連山。


Map-Itマップ・イットの地図より作図。

 

 

 

 

本当に、よい眺めです。

 

もっと、ゆっくりしたかったのですが、道路に止めている車のことも気になり、ささっと降りてきました。(笑)

 

 

このあと、太宰府天満宮まで歩きました…と言いたいところですが、もう、疲れ果てててしまった…。

 

という事で、この日の太宰府の旅?はこれでおしまい。

 

後日、改めてウォーキングに挑戦したいと思います!!

 

 

 

 

今日も…日日是好日

 

 

 

 

p.s.

 

梅雨末期のような大雨が各地で降っていますね。

 

大雨の地域にいらっしゃいました皆さんは、大丈夫でしたでしょうか。

 

皆さんが、ご無事でありますことと共に、被害が最小限でありますことを、心より願っております。

 

 

古都大宰府を歩く…令和はここから始まった。


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奈良時代は、梅は中国から伝わった大変高貴な花だったそうです。

引用:インスタグラムより

 

 

 

皆さん、運動はしていらっしゃいますか。

初夏は、新緑が目に眩しく、爽やかな風が吹く季節。

家にいてばかりではもったいないですよね。(笑)

 

 

と、言いながら、冬の話になります。(笑)

 

 

わたしは、健康のためにできるだけ毎日散歩しています。

ただ、家の回りの散歩というと、コースが決まってくるのですよね。

 

最近は健康志向で、おすすめ散歩コースを紹介している市町村が多い。

 

と、いうことで、ちょっと遠くにいって、初めてのコースでウォーキングしました。

このコースは、古都大宰府を歩きます。

 

おすすめのコースの一つに大宰府政庁跡から、観世音寺を通って大宰府天満宮まで歩く、約2kmのコースが紹介されていました。

 

往復すると、1時間か…

 

ちょうどいいコースです。

 

 

 

幸い休みの日で、アッシー君の(表現が古すぎるか…笑)夫が一緒だったので、太宰府までは、車で行きました。

 

 

そして、大宰府政庁跡の近くの駐車場に車を止めて、スタート。

 

コース通りに歩こうとすると、こんな看板が。

 


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これは…これは…

 

すぐ、近くに令和ゆかりの坂本八幡神社があるんだ…。

 

ということで、坂本八幡神社に寄り道をすることにしました。

 

元号が平成から令和に代わって、はや4年目です。

時が経つのは、早いものですね。

 

令和という元号の由来は日本最古の歌集『万葉集』に載っている、「梅花の歌三十二首 序文」から採られました。

「梅花の歌三十二首」とは、神亀4(727)年頃に、大宰府の長官である大宰帥(だざいのそち)として赴任してきた大伴旅人(665~731)が、自宅に大宰府や九州の役人を招待して、梅花の宴を催したときの歌です。

 

そして、坂本八幡神社は、大伴旅人の邸宅の候補地なのです。

大伴旅人の邸宅の候補は他にもいくつかあります。)

 

 

〈そうそう、この近くには梅大路という、雅な名前のバス停があるんですよ!〉

 

 

 

では、『万葉集』から、令和がある文章を抜き出してみましょう。

 

 

 

 

于時、初春月、気淑風。梅披鏡前之粉、蘭薫珮後之香。

 

書き下し文にすると、

 

時に、初春の月、気淑しく風ぐ。梅は鏡前の粉に披き、蘭は珮後の香に薫る。

 

 

ときに、しょしゅんのれいげつ、きうるわしくかぜそよぐ。うめはきょうぜんのこにひらき、らんははいごのかおりにかおる。

 

意味

 

あたかも初春のよき月、気はうららかにして、風は穏やかだ。梅は鏡台の前のおしろいのような色に花が開き、蘭草は腰につける匂い袋の香のように、良い香りが薫っている。

 

(古都大宰府保存協会のパンフレットを参考に、少しアレンジを加えました。)

 

 


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博多人形による「梅花の宴」

太宰府展示館の展示品より

 

 

待ちに待った美しい梅の花が咲いたことへの喜び、感謝の気持ちが表れている…そんな風に感じませんか?

 

桜の木の下で、ドンチャンと歌い騒ぐ、現代のお花見の原型を見ているようです。

 

 

 

 

では、お話を現代に戻しましょう。

 

 

 

本八幡神社へは、梅の木の並木道をまっすぐに歩きます。

 

 

 

梅の並木道は、奈良時代の雰囲気を醸し出していました、と書きたいのですが…。

哀しいかな、この時はまだ、花が咲いていない。(笑)

 

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さぁ、坂本八幡神社につきました。

 

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入口


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拝殿

 

 

あらっ。

小さい。

我が家の近所の神社より小さい。

しかも、無人の神社。

令和になった時、ここに何千人も並んだとは信じられません。

 

でも、こざっぱりときれいに清掃されていて、まわりの原っぱからは、爽やかな風が吹いていて、とても居心地のいい神社です。

 

ところで、坂本八幡神社創建の由来は明らかではありません。

 

平安時代には、ここに善正寺という天台宗のお寺があったそうです。

この、善正寺は、九州の豪族である少弐氏が滅亡してから、廃れていったとのことです。

 

 

さて、入り口の近くに3つの石碑がありました。

 

一つは、令和の碑。

 

もう一つの碑は、梅花の宴に主賓として招かれた、大弐紀卿(誰に相当するか不明)の歌。

 

最後の一つは、やはり万葉集からとられた大伴旅人の歌。

 


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わが岡に  さ男鹿来鳴く  初萩の

花嬬問ひに   来鳴くさ男鹿

 

わがをかに   さをしかきなく  はつはぎの

はなづまとひに  きなくさをしか

 

私の家の近くの岡に牡鹿が来て、鳴いている。萩の花に妻になってほしいと、鳴いているよ。

 

花嬬(はなづま)とは、鹿が、いつも萩に寄り添うことから、鹿の奥さんにみたてて、 萩の花を花嬬(はなづま)と呼んだとのことです。

 

奈良の平城京から大宰府に赴任してきた大伴旅人にとって、大宰府は家の近くで鹿を見かけるくらいの、雲泥の差で寂しい所だったのかもしれませんね。

 

因みに、『万葉集』は大伴旅人の子どもである大伴家持(718?~785)によって編纂されました。

 

 

 

このあと、奈良時代の役所跡の大宰府政庁跡に行きました。

 

そのレポートについては次回に書きますね。

今回は既に2000字を超えてしまったので。

 

最後に、アクセスを。


goo.gl

 

コミュニティバスまほろば号で、大宰府政庁跡下車 徒歩約5分

まほろば号は、西鉄都府楼前駅太宰府駅からも乗れます。)

西鉄都府楼前駅下車 徒歩約15分

福岡空港博多駅からの直行便は、太宰府ライナーバス「旅人(たびと)」

 

 

 

 

今日も…日日是好日

 

 

p.s.

 

もう、遠い昔のように感じますが(笑)、皆さんは、ゴールデンウィークはいかがお過ごしになりましたでしょうか。

 

わたしは、ちょうど庭の梅の実が大きくなったので、梅の実をとりました。

 

おかげさまで、今年は豊作でした。

近所におすそ分けをして、残った分を梅酒にしました。

 

梅酒は、1年たてば美味しく飲めると言いますが、個人的には、少なくとも2年は置いたままにしておく方が、美味しいようです。

もっと置けば、より美味しいのでしょうが、待ちきれません(笑)

 

この梅は2年後の楽しみです。(笑)


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異国情緒溢れる街 長崎をさるく(後編)   文化の尊重と忘れてはいけない記憶

 

前回は2泊3日の長崎旅行の、2日目のお昼休憩まで、ご紹介しました。

 

gracedusoleil252525.hatenablog.com

 

 

今回はその後編です。

 

 

 

 

長崎の街を歩くと、よくあるさりげない碑。

「ボウリング日本発祥地」ですって。

長崎は、よく考えれば古く1571年(織田信長の時代)から開港していた国際都市だから、このような‥○○発祥‥が多いのでしょうね。

 

あら、ここにも。

「南山手居留地跡」

「長崎電信創業の地」

「国際電信発祥の地」

長崎を経由して、色々なものが日本に伝わったことが分かります。

 

 

さて、次に行ったところは、やはり異国の雰囲気溢れる孔子廟

今度は、東洋を感じる異国情緒ですね!!

 

観覧券に旅行クーポン券が使えたので、ここで初めて旅行支援の地域クーポンを使いました。

私にとって「旅行支援クーポンを初めて使用した地」(笑)

 

 

儀門

本廟の正面玄関。

ここをくぐって本廟へ。

 

孔子廟は、文字通り孔子を祀っているところ。

明治26(1893)年に、清朝政府と在日華僑が協力して建てたそうです。

 

やはり、原爆で被爆し、今見られる建物は再建されたものです。

 

江戸時代に、幕府は、長崎ではオランダと中国と貿易していたことから、長崎に華僑も多いのでしょうね。

 

黄色と赤を使った華やかな色合いで、いかにも中国っぽい建物。

 

廟と言う言葉から、しっとりした雰囲気を連想するかもしれませんが、どうしてどうして、色合いの関係かもしれませんが、暗い雰囲気は全くなかったです。

 

この写真には写っていませんが、左右の端に顔回子路など孔子の弟子である72賢人の像がずらりと並んでいました。

 

奥に進むと、「長崎孔子廟歴代博物館」があります。

孔子廟に関する資料や、中国国内の文物を展示しています。

 

 

 

次に訪れたのは、オランダ坂

 

 

オランダ坂

長崎は、どこでも坂がいっぱいなので、オランダ坂と言われても、何がどう違うか説明板を読まないと見ただけでは分かりません。(笑)

 

説明板を読むと…

 

外国人居留地時代のに作られた石畳の階段や坂道のことを指すそうです。

 

長崎の人は、明治時代になっても、東洋人以外の外国人を「オランダさん」と呼んで、その人たちがよく歩いたこの坂をオランダ坂と呼んだそうですよ。

 

 

ところで、長崎は自転車に乗る人はいなくて、皆バイクに乗ると聞いたことがありますが、今はどうなのでしょう?

昨今は電動自転車なるものもありますし…。

 

 

さて、オランダ坂からちょっと歩くと、中華街に出ます。

 

 

 

私のお薦めは、「江山楼」と言うお店のちゃんぽんです。

「江山楼」のお店の前には、長蛇の列。

そうよね、私がおいしいと思うものは、みんなもおいしい。(笑)

 

で、私と娘が買いたかったものは月餅。

月餅って、お饅頭の中に餡や木の実、松の実が入ってすごくおいしい。

それから、クルミのお菓子。

これまた、昔香港で食べてすごくおいしいと思ったのだけど…。

 

月餅はすぐ見つかりましたが、クルミのお菓子は見つけることが出来ませんでした。

 

だから、月餅だけ買いました。

 

 

 

 

この日は、まだまだ頑張ります!!

 

 

 

 

この後は長崎駅に戻って、ホテル行きのバスに乗り込みました。

 

この日の観光はこれで終わりのつもりでしたが…。

 

 

ホテルのすぐ近くに、風頭公園と言う公園があります。

坂本龍馬銅像があって(亀山社中も近くにあります。)、以前行ったときは桜がとても綺麗に咲いていました。

 

風頭公園の西側が海なので、ここから夕日を見ようと、ホテルから歩いて見に行きました。

 

 

山の上から坂道をぐっと降りて、風頭公園に行きます。

どうにか、夕日に間に合った!!

 

しばらく、山に沈みゆく夕日を眺めていました。

 

 

もっと降りていくと、先ほどお話した坂本龍馬の像があるのですが、もうそこに行くようなパワーは残っていませんでした!!

 

本当に、最後の力を振り絞るという感じで、ここから、急な坂をホテルまで歩いて登っていったのでした。

 

(もう、この日は3万歩弱ですよ。よく頑張ったなぁ。)

 

 

 

さて、ホテルから見た、幻想的な暮れ行く長崎の景色です。

 

 

 

長崎の夜景は特に美しい。

 

世界新3大夜景は、なんと長崎とモナコと上海となんですって。

確かに長崎の夜景は美しいけど…

 


いくらなんでも、本当かな?

基準がよく分かりません。(笑)

 

 

ホテルから見た夜景。f:id:gracedusoleil2525:20230412165041j:image

うまく、写せなくてすみません。

雰囲気を味わってください。

 

 



3日目

 

さて、長崎旅行も最終日。

前々日、前日と歩き回ったので、相当疲れております。

 

で、この日は、路面電車に乗って出掛けることに。

 

長崎に来て、ここは外せないでしょう…という場所は、平和公園です。

 

土壇場で、近くに原爆投下地があるということが分かり、そこを見学してから平和公園浦上天主堂に行くことにしました。

 

これらの場所についてはもっと詳しくお話したいので、夏に改めて詳しい記事を投稿したいと思います。

 

ということで、今回はさらっと進めます。

 

 


原爆落下中心地
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先ほどお話しましたように、平和公園の横にあります。

初めて来ました。

 

この近くには、原爆で壊された家の瓦や煉瓦、高熱で溶けたガラスなどが今も大量に埋まっているそうです。

 

 

それでは、平和公園に入ります。

 

平和の泉

 

………

のどが渇いてたまりませんでした

水にはあぶらのようなものが

      一面に浮いていました

どうしても水が欲しくて

とうとうあぶらの浮いたまま飲みました

    ーあの日のある少女の手記から

 

 

平和祈念像

外国人の観光客が、たくさんいました。

浮かれた感じのポーズをとっている人が多かったです。

まるで、ただの観光地のようです。

 

一方、日本人と思しき人は、ほとんどの人が手を合わせていました。

 

 

娘が一言

戦勝国と負けた国では、受け止め方が違うということだよ。」

 

 

 

 

 

ところで、先ほどの平和祈念像の雲は、この写真の雲とつながっているのですが、意味深な雲と思いませんか。

 

写真は二つだけですが、まだまだ長く長くつながっていました。

スピリチュアルに詳しい方だったら、何か意味を発見できるかもしれません。

 

 

とても暑かったので、長崎名物のチリンチリンアイスを食べました。

素朴なアイスで、バラの花びらのような形が美しいですね。

 

この後、浦上天主堂を訪れました。

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非常に大きい教会です。

 

浦上天主堂は明治28(1895)年から、信徒たちの献金と、労働奉仕活動を経て、大正3(1914)に献堂式をあげたそうです。

やはり被爆して、昭和34(1959)年に再建されました。

 

私達が訪れた時は、結婚式の真っ最中でした。

見学ができたので、幸せのおすそ分けをいただきました。

 

花嫁さん、花婿さん、どうぞ末永くお幸せに。

 

 

浦上天主堂では、原爆で吹き飛ばされた天主堂の鐘楼の一部も保存されています。

 

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この後、お昼ご飯を食べて崇福寺へ。

 

崇福寺黄檗宗のお寺で、寛永6(1629)年に長崎に住んでいた華僑たちによって建てられました。

 

崇福寺の建物は、明末~清の初期(17世紀)にかけての、南支建築様式というスタイルだそうです。

 

とにかく、建っている建物のほとんどが、何らかの史跡指定を受けているという凄いお寺です。

 

三門(重要文化財

 

竜宮門と言われているそうです。

 

全体が、赤い。

中国のお寺のイメージそのものです。

 

ここをくぐって、竜宮城に行ったら、チャイナ服の乙姫さんに「ニーハオ!!」

と言われそう。(笑)

 

第一峰門(国宝)


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別名唐門、赤門、海天門。

寧波(中国浙江省)で、材料を切り組んで、唐船で持ってきたそうです。

 

 

大雄宝殿(国宝)
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いわゆる本堂。

御本尊は釈迦如来

 

 

 

媽祖堂(県指定史跡)

唐船主たちが、海の安全を祈願して、海の神様媽祖(まそ)を祀りました。

 

他に三国志関羽を祭った堂もあって、中国の雰囲気満載のお寺でした。

 

全般的に赤基調で、床は土間。

昔、上海にいったことがあるけど、その時に見た中国のお寺そのものの雰囲気でした。

 

この後は、眼鏡橋に行きます。

 

眼鏡橋f:id:gracedusoleil2525:20230412165136j:image

ほ~んと、眼鏡みたい。

寛永11(1634)年ごろ、興福寺のお坊さんによって作られたとされています。

現在に残る最古のアーチ形石橋の一つだそうです。

 

 

さて、このあと、中町教会にいきます。

 

1日目と同じところに、またどうして?

 

実は、古楽器のコンサートを聴くことにしたのです。

 

最初に中町教会に行った時、古楽器のチラシをとってきました。

 

「長崎まで来て、しかも予定を変更してまでコンサートを聴くの?」

 

と、家族で結構意見が分かれましたが…。

(だって、コンサートなら、福岡でも聴けそうですから。)

 

結局、観光組が折れて、ここでコンサートを聴くことになりました。

コンサートでは、ヴィヴァルディとアルビノーニという、イタリアの作曲家のバロック音楽が演奏されました。

 

まぁ、中町教会についた時は疲れはてていたので、結果として、ちょうど良かったといえばちょうど良かったけど…。(苦笑)

 

因みに、La  Musica  Collana(ラ ムジカ コッラーナ)というこの楽団、中町教会の前に、アクロス福岡でコンサートしてきたそうです!!(苦笑)

 


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この後は、長崎駅でおうどんを食べてお土産を買って、高速バスに乗りした。


楽しかったけど、歩き回ってすごく疲れました。
やっぱり、この歳になったら、ガンバルマンにしないで適度な休憩も必要ですね、

滅多に行かないからと、つい欲張ってしまうけど…。

 

 

 

 

 

それから、少なくとも一週間は早寝熟睡したこと、言うまでもありません。

 

 

 

 

 

今日も…日日是好日

 

 

 

異国情緒溢れる街 長崎をさるく(前編) 歩く、歩く、とにかく歩く

今回も、旅の話です。

 

 

3月中旬に、旅行支援を利用して2泊3日で、長崎へ行ってきました。

今度はその話を2回に分けていたしますね。

 

 

家族での旅行は1年ぶりです。

 

そして、私自身が長崎市内を訪れたのは、10年ぶりでしょうか。

 

 

長崎市内は、見ごたえのある観光地が近くに固まっており、また公共交通機関にも事欠きません。

 

2006年に、「長崎さるく博」…さるくとは、ぶらぶら歩く意味の長崎弁…とネーミングされた博覧会が開催されたくらいですから。

 

 

 

ですので、とにかく歩いて観光する…そのような計画をたてました。

 

 

 

それでは、皆さんもご一緒に長崎をさるきましょう。

 

 

1日目

 

 

福岡からは、長崎行きの高速バスに乗りました。

それなりに、ゆっくりの出発だったから、長崎に着いた時はもうお昼。

 

ここで、トラブルが発生!!

降りる場所を間違えた!

終点長崎駅まで行ったけど、本当はひとつ手前のバス停の大波止で降りなければならなかったのです。

 

と、いうことで歩いて引き返して、貴重な15分を無駄にしてしまいました。(苦笑)

 

 

さて、今度長崎に行くときは必ず食べよう、と思っていたお店がここ。

 

蒸し寿司と茶碗蒸しで有名な「吉宗」(よっそう)です。

創業は慶応3(1867)年。

古いですね。

 

昔、まだ就職していた時に、上司と長崎に出張にきたのですが、その時にお夕飯を食べたお店です。

 

とてもおいしかったので、いつか長崎にきた時は、ぜひ家族に食べさせたいと思っていました。

 

蒸し寿司も茶碗蒸しも、どんぶりで出てきます。

量が非常に多かったので、とてもお腹がいっぱいになりました。

 

この後は、長崎港へ。

途中、おもしろいものに出会いましたよ。

 

まず、このポスト。

黒色角型のポスト!!

明治時代に設置された時と同じ型のポストです。

昔は、赤色でなかったのですね。

 

 

 

 

 

次に「南蛮船来航の波止場跡」の碑。

南蛮船なんて言葉、久しぶりに聞きました。

歴史の教科書にも出てきますね!!

 

長崎では、よく見ないと分からないような、さりげないところに、このような碑が数多くあります。

 

因みに、現在は海岸線がもっと海側のほうに伸びています。

 

 

さあ、長崎港にでました。

 

海と船を見ると、あの船に乗って、どこか遠くにいきたいな、という気持ちになります。

 

船のマストの奥に見える山が稲佐山です。

長崎の夜景が美しく見える山として、知られています。

 

 

港沿いに歩くと、長崎県美術館につきました。

 

せっかくなので中に入ってみましょう。

おっ、特別展をしている!

 

「フィンレイソン展」ですって。

北欧の人に愛されてきた布や織物のデザイン展です。

もの珍しさから、常設展でなく、この特別展を見ることにしました。

 

 

そして、展覧会が終わって、レストランの前を通ると、かわいいスイーツが?!


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ちょうど子猫の写真展が、同時開催されていたので、そのための特別メニューでしょうか。

 

お昼ごはんのお腹いっぱいも何のその。

つい、食べてしまいました。(笑)

 

さて、次の訪問は、インスタ映えのする興福寺、中町教会へ‥と行きたいところだったのですが、ここで2つ目のトラブル。

雨がじゃんじゃん降りだしてきたのです。

 

長崎は今日も雨だった~♫

 

なんて、余裕のある気持ちとはならず、こんな時に雨が降らなくても…というのが正直な気持ち。

 

う~ん、雨の中あちこち歩きたくないなぁ。

どうしよう…。

 

結局、興福寺をやめて中町教会だけいくことにしました。

なぜって、長崎駅から近いので戻りやすい。

 

 

中町教会は、明治時代に大村藩蔵屋敷跡に建てられた白く美しいカトリック教会です。

原爆で被爆し、昭和26(1951)年に再建されました。

 

 

 

また、ここはステンドグラスの美しい教会でもありました。

 

中町教会は、この日だけのはずだったのですが、予定を変更して翌々日再訪することに。

その話は、次回にしますね。

 

 

さて、1日目は、まださほど異国情緒を体感しませんでした。

バスを降りるところを間違えたり、雨が降ったりして不測の出来事が多く、落ち着いた観光ができなかったからかもしれません。

 

 

異国の雰囲気は、明日に期待しましょう。

 

 

 

この後は、ホテルへ行き、旅の疲れを癒しました。

 

 

 

 

 

 

 

2日目

 

長崎の朝

長崎港が見えます。

朝早いので、半分だけ日が差しています。

 

 

2日目も、長崎駅からのスタートです。

この日も、とにかく歩き回る…やはり、私が組んだ行程です(笑)

 

 

最初の目的地は、大浦天主堂

 

長崎は、とにかく坂が多い。

大浦天主堂へも、坂を上っていきます。

 

 

大浦天主堂に着くまでは、神社の参道の様にお土産屋さんが所狭しと並んでいます。

 

あっ、やっと見えました。

大浦天主堂も、白く美しい教会ですね。





長崎には、キリスト教が日本に伝えられてから、キリスト教を保護する大名もいて、たくさんの信者がいました。

 

しかし、豊臣秀吉バテレン追放令(天正15(1587)年)から、明治時代初期にかけて、キリスト教徒は弾圧され、信仰を続けるものは、隠れキリシタンとして、ひそかに信仰を守り続けなければいけませんでした。

 

そんな中、長崎に住む外国人のために、幕末の慶応元(1865)年、大浦天主堂が出来ます。

(長崎は、安政5(1858)年に開港しています。)

 

しばらくたって、大浦天主堂のプチジャン神父を3人の女性が訪ねてきます。

 

「マリア様の御像はどこ?」

 

プチジャン神父は、弾圧を受けていた人々が、密かにに信仰を守り続けていたことに驚き、感動します。

 

これが、世に言う「信徒発見」です。

 

しかし、明治6(1873)年に禁教令が撤廃されるまで、日本人の信者は依然として隠れて信仰しなければいけませんでした。

 

このあとは、ステンドグラスをモチーフにしたプリンをたべたりしました。

 

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大浦天主堂の、坂を下りていくとグラバー園の入り口に着きます。

 

修学旅行では、必ず行くところ。

入ってみましょう。

 

 

先ほども触れましたが、長崎は幕末に、横浜・神戸・函館・新潟とともに開港しました。

 

トーマス・グラバー(1838~1911)は安政6(1859)年スコットランドから来日し、長崎でグラバー商会を設立します。

そして、武器商人としてだけでなく、造船業や、高島炭鉱の開設に携わりました。

 

グラバー園は、そのグラバーの住宅だけでなく、長崎市内の貴重な建築物が移築されています。

 

幸いにも、被爆からも免れました。

 

旧三菱第2ドックハウス

明治29(1896)に、三菱造船所の第2ドック(船の建造や修理をするところ)を作る時に建てられた外国人乗組員用の宿舎です。

 

 

 

ちょっと休憩

 

 


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広いグラバー園のどこか思いだせないけれど、豪華客船が見えたので、写真を撮りました。

 

この、豪華客船はシルバーミューズというんですって。

ヨーロッパから来たらしいけど、調べてもどのようなコースを巡るのか、今一つ分かりませんでした。

でも、ロマンがありますね。

 

ボーッとなる汽笛を聞くだけで、うっとりします。

 

 

 

また、こんな碑もありました。

 

「西洋料理発祥の地」
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西洋料理は、当時既に外食として出されていたのですが、同じ店で和食も出されていたそうです。

だから厳密に言えば、ここは厳密には西洋料理専門店発祥の地ということだそう…。

 

 

最後に、やっと本命の旧グラバー住宅


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国指定の重要文化財です。

現存する日本最古の木造洋風建築住宅で、文久3(1863)年に建築されました。

ここには、グラバーさんとその息子の2代にわたって住んだそうです。

 

 

グラバー園はとても広くて、へとへとに疲れてしまいました。

 

それで、あまりカメラに手がいかず、結局数ある住宅の中で写真を撮ったのが、最初に見学した旧三菱第2ドックハウスと、最後に見学した旧グラバー園だけでした。

 

しかも、注意力も散漫になっていたのでしょうか。

 

以前行ったときは、蝶々夫人のオペラ歌手で有名な三浦環の像もみたりしたけど、この像もどこにあるのやら。

見つけることが出来ませんでした。(苦笑)

 

でも、海が見え、異国情緒あふれる様式の建物と庭園。

グラバー園からは、幕末の長崎の外国人居留地の雰囲気が感じられました。

 

グラバー園を出るとすぐ近くに「祈りの丘 絵本美術館」があります。

以前行ったことがあるのですが、今回もまた、訪れたいところの一つでした。

 

 

祈りの丘 絵本美術館

絵本・子どもの本が、およそ10000冊収蔵されています。

わたし、絵本って大好きなんですよ。

文字がなくても、絵を見るだけでも楽しめます。


しかし、絵本読み放題の読書室で、休憩を兼ねて絵本を読みながら、不覚にも意識が遠のくことに…。

昨日今日と、良く歩きましたものね。(笑)

睡魔が去ったところで、美術館を出ました。


この後、遅めの昼食をパパっととって、この日後半の観光へと出発。

 

1日目もそうでしたが、2日目も歩く、歩く、とにかく歩く。

 

2日目は、結局30000歩近く歩きました。

 

 

 

 

次回へ続きます。

 

 

 

 

 

 

 

 

今日も…日日是好日

 

 

 

子どもの昔にタイムスリップ!!(後編) お墓詣りと吉備津彦神社


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吉備津彦神社の入り口は、日本庭園のようで、落ち着いた雰囲気です。

 

 

 

 

 

 

 

前回は、叔父のお墓参りを兼ねて、兄妹で、岡山に旅をした1日目の話をしました。

 

gracedusoleil252525.hatenablog.com

 

 

 

さて、今回は2日目のお話です。

 

朝、9時に岡山駅に従兄弟が迎えにきました。

 

2日目は、あいにくの雨となってしまったので、早いうちに、とまずはお墓へ直行。

 

私が、父方のご先祖様のお墓参りをするのは、恥ずかしいのですが、これが初めてでした。

 

お墓は、くねくね山道を行きます。

雨の中、車を降りてからも、足場がわるいので、気を付けて歩かねばいけません。

 

ここには、私の曽祖父からのお墓があります。

分家した時に、この場所にお墓を移したそうです。

 

私の両親は、更に福岡で眠ることになったので、ご先祖様のお墓は叔父の息子である従兄弟一家が守っていくことになります。

 

お墓詣りが終わると、従兄弟の家でしばらく団欒して、近くへお食事に行きました。

近所に住んでいる他の従姉妹たちも一緒です。

 

父方の従兄妹は、私がひとりぐ~んと年下になるので、小さい頃はあまり親しいというほどでもなかったけど、歳をとって改めて会うと歳の差なんてあまり関係ないですね。(笑)

 

食事が終わり、帰りの新幹線まで、すこし時間があったので、

「どこか行きたいところはない?」

と聞かれ、吉備津彦神社に行くことにしました。

 

本当は、瀬戸内海を一望できる鷲羽山に行きたかったのですが、時間がないので仕方がありません。

 

岡山には、吉備津神社吉備津彦神社と、よく似た名前の神社があります。

 

両親が結婚式を挙げたのが吉備津神社だったので、ここに行ってもよかったのですが、ちょっと健康面で不安を抱えることがあったので、病気平癒にご利益抜群という口コミの吉備津彦神社に行くことにしました。

 

帰りの新幹線を既に予約していたので、駆け足のお参りです。

 

小雨の降るなかでしたが、吉備津彦神社はすかっとした爽やかな空気を感じる神社でしたよ。

 

写真をとってきましたので、吉備津彦神社を簡単に紹介しますね。

 

吉備津彦神社は、ご神体山として古くから信仰を集めてきた吉備の中山の麓にあります。

そして、その吉備の中山ですが、古代祭祀の遺跡や古墳が数多く残されています。

 

吉備津彦神社は備前国一宮の神社で、社伝によると、創建は33代推古天皇(554~628)の時代とのこと。

 

ご祀神は大吉備津彦命

この人は、鬼退治で有名な桃太郎のモデルとなった人です。

 

第10崇神天皇(紀元前148~紀元前30)の命を受け、この地方を平定したそうです。

吉備の中山の中央の茶臼山の山頂には、この神社のご祀神、吉備津彦命の墓とされる前方後円墳も残っています。

 

鬼のモデルは、温羅(うら)といわれ、この地方を治めていた豪族だとされています。

勝った方から見れば、鬼かもしれませんが、一方で民から慕われていたという伝説も残っています。

また、百済から来た渡来人で、製鉄などの先端技術を伝えたとも言われています。

 

この地方を治めていた有力者ではあったのでしょう。

鬼か名君か真相はいかに。

 

 

 

 

 

入口の鳥居

参道の入り口です。

ここから、神社に入ります。

後方にかすかに映っている山々が、吉備の中山です。

 

 

参道入り口の鳥居をくぐると、日本庭園のような池があります。

 

随神門(吉備津彦神社の公式ホームページの表記に準じています。)

池を通り過ぎると、随神門があります。

元禄10(1697)年、岡山藩主池田綱政が造営したものだそうです。

 

拝殿

 

随神門を通り、階段を上ると拝殿があります。

 

本殿

拝殿の左側を進むと…

右手の奥に見える茶色い屋根の建物が、本殿となります。

 

階段を上って近づいてみましょう。

先ほどの入り口の鳥居から、随神門、拝殿、祭文殿、渡殿、そしてこの本殿までが一直線に並んでいます。

夏至の日にはこの一直線上の正面(入口の鳥居から見て)から日が昇るとのことです。

なんか、古代の信仰が感じられる並びですね。

 

 

 

 

上の写真の階段を下りて、階段に向かって右を見ると…

あれあれ、地下通路があります。

通ってみましょう。

 

 

 

反対側から本殿

拝殿の反対側に出ました。

地下通路を通って、本殿を一周できるようになっているのですね。

 

平安杉

 

 

樹齢1000年以上と言われる御神木だそうです、

1000年前と言うと…名前の通り平安時代になりますね。

それこそ、世の中の栄枯盛衰を、つぶさに見てきたのかしら。

 

 

 

大きな絵馬

迫力あります!!

 

さざれ石

駐車場横にあります。

説明版には、君が代の歌詞とその意味が書いていました。

 

さざれ石とは細かい石のことである、とも書かれていました。

とくに、由緒などはありませんでした。

 

 

拙社末社諸々の入り口

階段を上っていきます。

雨が降っていたし、新幹線の時間が刻々と近づいていたのでパスしました。




 

時間がなかったので、写真がこれくらいしかありませんが、あちらこちら写真をとっていたので、兄や従兄弟から、

「インスタでもしてるの?」

と聞かれました。

 

それで、はじめてブログをしていることをカミングアウト。

但し、ブログ名やハンドルネームは教えませんでしたよ!!

 

人のいやがる話は書いていないつもりだけど、何よりも恥ずかしいですものね。

身近であるだけに。(笑)

 

 

ところで、この辺りは…吉備の中山は吉備史跡県立自然公園となっている…自然歩道や、この周辺を自転車で回る自転車道などが整備されているようです。

 

時間があったら、爽やかな風に吹かれて、自転車で回ったり、散策するのも気持ちがいいかもしれませんね。

 


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さて、吉備津彦神社に参拝した後は岡山駅に直行して、旅行支援のクーポンで岡山名物の調布と大手饅頭をお土産に買って、帰路につきました。

 

今回、今さらながらですが、従兄妹同士でグループLINEを作りました。

それで、家に着いてからは、「おつかれ様。」「楽しかったね。」というようなメッセージが、ひっきりなしに送信されてきました。

 

もう、これが最後の訪問になるかもしれないと思っていたけど、また、機会をつくって、この地をぜひ訪れたいと思います。

 

 

 

 

 

ふふっ、今月は、この旅では会えなかった東京の従姉妹たちが、福岡に父のお墓参りにやってきます。

どのようにもてなそうかしら?

 

 

 

 

今日も…日日是好日

 

 

 

 

p.s.

 

先日、娘の卒業で、たくさんのお祝いのお言葉をいただきました。

ありがとうございます。

 

これは、卒業式の後、ぶらぶら町を歩いたときの写真です。

 

知る人ぞ知る場所です。

 

桜とお城は、よく合いますね。f:id:gracedusoleil2525:20230326121359j:image

 

 

 

そして、ここも見ることができてよかった‼️(笑)

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子どもの昔にタイムスリップ!!(前編) 西大寺の思い出を辿って


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2月の中旬に岡山にいってきました。

昨年12月に叔父が亡くなったので、そのお参りです。

 

 

生まれて初めて行った両親抜きの兄妹3人だけの旅。

 

思い出に残る旅となりました。

 

といっても、一泊二日なんですけどね。

 

 

一日目はフリーで、まず母の実家のあった西大寺にいってきました。

西大寺については、以前わたしの家族と一緒に行ったときの話を、ブログに書きました。

 

gracedusoleil252525.hatenablog.com

 

その時がもう何十年ぶりかの訪問で、これがもう最後になるかもしれないと思っていたので、2年後に、また同じところを訪れるなんて夢にも思いませんでした。

再訪出来て、本当にうれしかった!!

 

そして、今度は兄たちと一緒に行ったので、さすがに私の知らないことまでよく覚えているなぁという、場所やエピソードをいっぱい教えてもらいました。

 

私は、福岡から特急「はと」に乗って、岡山に行ったことくらいしか覚えていなかったけど、交通費を倹約するために、急行「玄海」や急行「つくし」に乗って行った話も聞きました。

 

急行「玄海」や急行「つくし」とか、知っていますか?

急行では、博多から岡山まで7時間くらいかかったんですって。

気の遠くなるような話ですね。

因みに特急だと5時間くらい。

超特急新幹線のありがたみが身に沁みます。(笑)

 

 

 

西大寺に母が里帰りした時は、お盆の西大寺観音院の水祭りが終わってから、福岡へ帰りました。

水祭りでは、灯篭を川に流したことを覚えています。

今から思えば、盂蘭盆会の行事だったのですね。

 

 

今回は、西大寺名物「笹の葉せんべい」も買って帰りました。



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幼いころ食べた懐かしの味。

夫や娘たちにも食べさせたいと思い、買って帰りました。

 

 

岡山駅に戻ってからは、お夕飯を兼ねて飲みに行きました。

 

今だから話せるお互いの話、両親のこと、お互いの子どものこと。

話は尽きません。

 

そういえば、昨年は法要が多かったけど、一転今年は華燭の典が2つばかりあるかもしれません。

…いえいえ、残念ながら我が家の子どもたちではありません。(笑)

 

 

 

 

 

では、今回は改めて、結婚後2度目の訪問となった西大寺観音院を紹介したいと思います。

 

「昔ここらへんで遊んだね。」と、いうところばかり重点的に見ていたので、偏りや見落としがいっぱいあります。(苦笑)

 

この記事を書くにあたり、改めて観音院の地図を見ると…。

広くて、写真を撮っていないところでも、見どころがいっぱいあるのですね。

 

そういう訳で、一部しか紹介できませんが、どうぞ、ご了承くださいませ。

 

因みに、西大寺観音院は奈良の西大寺とは関係ないようです。

正式名称は、金陵山西大寺、御本尊は千手観音、真言宗のお寺です。

 

寺伝によると、創建は宝亀8(777)年。

天平勝宝3(751)年に藤原皆足姫(ふじわらのみなたるひめ)がこの近くに千手観音像を安置したことに始まります。

 

奈良の長谷寺で修行していた安隆上人(あんりゅうしょうにん)というお坊さんが、夢にこの観音堂を修復するようにお告げを受け、船で瀬戸内海を通っていました。

 

そこへ竜神が現れ、犀(さい)の角を上人にに授け、観音様の聖地にお堂を移すように言ったそうです。

 

そして、犀の角を埋め鎮めたところに立てた寺が犀戴寺と名付けたそうです。

西大寺となったのは、後鳥羽上皇の祈願文を貰った時からだそうです。

 

西大寺の建物は火災に遭ったりして、今残る建造物はほとんど江戸時代のものです。

 

 

さて、西大寺観音院の西側の仁王門に通じる道は、参道となっています。

 

しかし、私の子どもの頃に比べて、シャッターが締まっていたりして、かなり寂しくなっていました。

母方の実家も、この通りにあったのですよ。

 

 

 

仁王門

上述のように、西大寺観音院の西にあります。

 

あれあれ…記念撮影の写真しかない!!

門の全体像の写真がなくてショック!!

 

 

この門をくぐって、境内に入ります。

 

 

本堂 正面(南側から見たところ。正面は、南側を向いている)

階段を上がったところに、お守り授与所と、御本尊の千手観音の像があります。

本堂は、総欅(けやき)造りだそうです。

 

 

本堂を西側から見たところ。

紅白の幔幕の上にお酒の樽でしょうか。

奇しくも、この日は、日本三大奇祭と言われる会陽(えよう)…裸祭りの前日でした。

その準備なのですね。

 

では、本堂の北側から反時計回りに建築物を見てみましょう。

 

 

 

正面真ん中が鐘楼門  その奥に客殿(西大寺観音院の北側)

何度も、小さい頃遊びに来ていたはずなのに、今まで全く気付かなかった…。

 

ですので、軽く写真を撮っただけでいたが、なんと、鐘楼門は、国の重要文化財だそうです!!

 

 

 

鳩に餌をやるために家のお米をいっぱい持ち出して、叱られたこと。

ここで、自転車に乗る練習をしたこと。

縄跳びで遊んだこと。

 

遊んだことだけは、覚えています。(笑)

 

 

高祖堂(西大寺観音院の西側)

 

木造の弘法大師像を祀っています。

 

 

 

六角堂

 

この中に回転式書架があり、この書架を回転させるだけで大般若経600巻を唱えたのと同じご利益があるとのこと。

 

しまったなぁ。

何もしなかったなぁ。(笑)

 

 

三重塔

搭内に胎蔵界大日如来を安置しているそうです。

 

石門

暗く映っていますが、小さい頃は、もっと鮮やかな色で、竜宮城に続く門だと本気で思っていました。

 

ところが…この考えは、調べるとあながち間違いでもなさそうなことを発見!!

この石門は、別名龍鐘楼と称する門で竜宮造りという様式だとのことです。

 

 

普陀南海観音

中国の普陀山音協会との交流10周年を記念して、贈られた観音像で、平成15年に開眼法要が行われたとのこと。

 

まだ、新しいのですね。

 

中国の普陀山(浙江省)は、中国仏教の聖地で、この10倍の33メートルある南海観音像があるそうです。

 

 

 

 

 

ところで、西大寺観音院には、よ~く見たら、パワースポットもいっぱいあるみたいです。

活力の楠、合格祈願の文殊様、招福の鐘などなど。

 

 

パワースポットの場所については、前もって調べていなかったのでほとんどスルーしてしまいました。

 

 

 

 

 

さて、南海観音像の方の道を進むと、吉井川が流れています。

写真では分かりづらいですが、もう河口付近なので、かなり大きな川となっています。

 

ここでしばらくぼ~っとして、西大寺駅まで歩いていき、そこから電車で岡山駅まで行きました。

 

 

西大寺駅

 

 

ところで、西大寺には、岡山学芸館高校と言う高校があるのですね。

 

昨年の全国サッカー選手権で、優勝したそうです。

 

で、ここの高校生の帰りと時間がかぶってしまい、押すな押すなの満員電車。

 

でも、西大寺に、若いパワーあふれる若者が通っていることを考えると、これから活気づくのではないかと思い、少し安心しました。

 

最後に、西大寺観音院の地図を載せますね。

 

アクセスは、

公共機関

車は駐車場があります。

 

 

 

 

 

次回は翌日の父方のお墓まいりと、短い時間ながらも、参拝した吉備津彦神社についてお話ししますね。

 

 

 

今日も…日日是好日

 

 

 

 

p.s.

 

明日、娘の卒業式があります。

それで、娘の晴れ姿を見に行こうと思っています。

 

ということで、コメントのお返しは、遅れ気味になると思いますが、気長にお待ちいただければ嬉しいです!!

 

 

週末のリフレッシュタイム…私の映画鑑賞 1

これは、日本のひまわり畑です。


 

アレクサが、我が家にやってきてから、映画を見ることが多くなりました。

そこで、私も多くのブロガーさんがなさっているように、定期的に自分の見た映画を皆さんにご紹介したくなりました。

 

と言うことで、これからは同一のタイトルで番号をふって、皆さんに私の見た映画をご紹介いたしますね。

タイトルは、『週末のリフレッシュタイム‥私の映画鑑賞』です。

 

さて、今日は、この冬に見た映画について紹介したいと思います。

 

 

1.「ひまわり」(1970年)

 

実は、この映画は、この冬観た映画でなくて、昨年まだロシアとウクライナの戦争が始まる前に、TSUTAYAから借りてきて、視聴しました。

 

戦争で、引き裂かれた二人の恋人の悲恋。

主役のソフィア・ローレンが恋人を探しに行く時に咲いていた、一面のひまわり畑のある場所は、今から思えばウクライナだったのですね。

 

この映画を見た後、ほどなくしてロシアのウクライナへの侵攻が始まりました。

 

なんと、タイムリーな鑑賞!!

 

この映画については、あの有名なテーマ曲をアップします。

現実に、ウクライナで戦闘があっているので、今聴くと映画を見た時より寂しく、哀愁がとても漂います。

 

ひまわりを明るい太陽のような花…と、どうして思ったのだろう、という気になります。

 


www.youtube.com

引用:YouTubeより

 

2.「ニュー・シネマ・パラダイス」(1988年)

 

これは、娘たちから、

「音楽も、映画もすごくいいからぜひ見てみて。」

と言われてお正月にみた映画です。

 

既に見たことがある娘たちは2回目です。

うんうん、確かにテーマソングは聞いたことがある !!

 

 

このお話は、主人公の映画監督サルヴァトーレの回想と言うスタイルの映画です。

 

主人公の映画に対する情熱、映画館に出入りすることで知り合った技師との交流、初恋の話を絡めながら、映画で身を立てるため、故郷のシチリアを離れるまでを描いています。

 

このお話も、「ひまわり」と同様、時代背景に、第2次世界大戦がからんでいます。

戦後の娯楽は、テレビが普及するまでは、映画館の映画だったのですね。

 

「ひまわり」の音楽は、哀愁が漂っていたけど、この映画の音楽は、哀愁と言うより遠い故郷を懐かしく思いだすというような、郷愁が漂います。

 

そして、もう子役が凄くかわいいです。

 

 


www.youtube.com

引用:YouTubeより

 

 

3.「セブン・イヤーズ・イン・チベット」(1997年)

 

これは、実在のオーストリアの登山家ハインリヒ・ハーラー(1912~2006)の自伝を映画化したものです。

 

第2次世界大戦中に、インドでイギリスの捕虜になったハーラーが脱走し、チベットで過ごした7年間を描いた映画です。

 

その間に、少年時代のチベットの最高宗教指導者ダライ・ラマ14世(1935~)と出会い、親しく交流することになります。

 

この映画の後半では、中国の人民解放軍チベットに攻めてきます。

そして、神聖な寺院のなかを、土足でずかずかと踏み込んでいく…

 

チベットの民の大切にしているもの…を建物や、心のよりどころにしているものまで…を無惨に壊していきます。

 

このシーンでは、チベットの美しい背景と対極をなして、涙が出そうになりました。

ただ、実際のロケの大部分は、アルゼンチンで撮影されたとのことです。

 

因みにダライ・ラマ14世は、今チベットからインドに亡命していますすね。

 

そして、日本にも何回か来たこともあります。

数年前に福岡にも来ましたよ。

 

これから、チベットがどうなるのか…

チベットを大切に思う人にとって、良い方向に進んでいけばいいと、心から思います。

 

日本語の丁度いい予告編がなかったので、英語の予告編を出しますね。

雰囲気を掴んでいただければと思います。

 


www.youtube.com

引用:YouTubeより

 

ところで、予告編を探しているときに、『ダライ・ラマ14世』というドキュメンタリーがあることを知りました。

 

自分が、この文章を書きながら、ダライ・ラマ14世のことをもっと知りたい、という気持ちになっていたので、タイムリーなドキュメント。

 

いつかみたいと思うので、自分の備忘録代わりに予告編を載せますね。

 


www.youtube.com

引用:YouTubeより

 

4.「クリスマス・キャロル」(1938年)

 

ディケンズの小説『クリスマス・キャロル』を映画化したものです。

クリスマスの時期に、この映画を見ました。

 

ディケンズでといえば、わたしは『二都物語』しか読んだことがありませんでした。

二都物語』は、フランス革命の後の恐怖政治を背景としたお話で、暗く寂しいお話です。

けれど『クリスマス・キャロル』は、ハッピーエンドでよかった。

 

舞台はイギリスのロンドン。

ケチで、大金持ちのスクルージさんが、夢のなか?うつつ?で、亡霊や妖精?と一緒に、過去の自分を含めクリスマスを過ごす色々な人をみて、温かい心を取り戻すというハッピーエンドのお話です。

 

YouTubeで、予告編解かないかなと探したら、私が見た映画は、これしかありませんでした。

 

アマゾンプライムのおすすめを、何も考えずに見たんだけど、今この記事を書くにあたって調べてみると、随分古い映画だったみたいです。

 

クリスマス・キャロル』は何作も映画化されているようだし、舞台もあるようですね。

後日、ディズニーの映画も見てみたいです。

 


www.youtube.com

引用:YouTubeより

 

いかがでしたでしょうか。

皆さんが、見てみたくなった映画はございましたでしょうか。

 

今回ご紹介した4作のうち、3作が戦争が絡んでいる作品だった…。

 

戦争が曲がりなりにも絡むと、平凡な生活が奪われるので、映画の上では喜怒哀楽が際立ってきて、名作になるような気がします。

 

けれど現実は、身近で戦争が起きるかもしれないと思うだけで、胃が痛くなります。

 

 

 

 

 

私達の小さな幸せが、守られますように。

世界中のこどもたちが、飢えや暴力をはじめとした苦しみから解放されますように。

 

 

 

 

次回は、この春に見る映画を紹介しようと思います。

さてさて、どの映画をみようかなぁ。

 

 

今日も…日日是好日

 

 

法定相続情報証明制度について…戸籍提出の煩雑さを簡素化できる!!

 

 

1. はじめに

 

皆さん、こんにちは。

父が、亡くなって1年が過ぎました。

 

その間、私たち遺族がしたことを振り返ると…

 

四十九日の法要前後までは法要に関する作業のほか、年金、介護、医療保険関係の手続きを済ませました。

そして、四十九日の法要が過ぎて一休みして、他の煩わしい相続手続き…法務局、銀行、税務署(相続税があってもなくても、申告書を提出しなければいけません。)…に取り掛かりました。

 

 

 

そして、その作業をする時、便利な制度があるのに利用する人が少ない制度がある、と言われて利用したのが、法定相続情報証明制度です。

(なんだか、噛んでしまいそうな長いネーミングですね。)

 

 

本記事では、この制度について紹介し、いざと言う時のお役に立てていただければ幸いです。

 

2. 戸籍をとる煩わしさ

 

法務局、銀行などの金融機関、税務署に提出する書類は、ほとんどと言っていいほど、故人(被相続人)の、生まれてから亡くなるまでの戸籍謄本を添付するように言われます。

 

この戸籍謄本…故人の亡くなった時の市町村の役所で、すべて揃うかと言うとそうではありません。

故人が、亡くなるまで新たな戸籍を作っていれば、遡って、過去の戸籍謄本を全て取得しなければいけないのです。

 

このように、複数ある戸籍謄本を生まれた時まで揃えるためには、その折々に作成した戸籍の市町村の役所に問い合わせなければいけません。

しかも、その市町村が、統廃合して別の市町村名になっていたら、調べるのに時間がかかるため、戸籍を取得するのに、とても日数を要します。

 

例えば父の場合、生まれた村が市町村合併しており、全部の戸籍謄本が揃えるのに1か月かかりました。

 

このように、時間をかけて、苦労してとった戸籍謄本。

「原本を返して。」と言わなかったら、前述の機関に提出したまま戻ってこないので、再度取得しなければいけません。

しかし、そのような煩わしさは、法定相続情報証明制度を利用することによって解放されます。

 

3. 法定相続情報一覧図の写し

 

この制度は、平成29年5月から始まった制度です。

下記の書類をそろえて、法務局発行の法定相続情報一覧図の写しを取得します。

 

必要な書類

① 被相続人…故人ですね…の戸籍謄本、除籍謄本(出生から、亡くなった日まで)

② 被相続人の住民票の除票

③ 相続人全員の戸籍謄本もしくは戸籍抄本

➃ 申出人の住所氏名を確認できる書類

 

 

そして、法定相続情報一覧図を作成します。

 

法務局の雛型  この、黄色いところに、情報を入れていきます。
引用:法務局ホームページより

 

審査が通れば、法務局の印鑑が付いた、法定相続情報一覧図の写しを発行してもらえます。

 

法務局が発行したこの、法定相続情報一覧図の写しは、この証明書を作る時に必要な書類の提出データが、この1枚に集約されますので、他の機関で①~③の代わりとして使うことが出来ます

(機関によっては、例外もあるそうですが、私の場合、全ての機関について代用できました。)

 

発行手数料は、タダです。

また、発行部数も希望数を発行してもらえます。

私が発行してもらった時、

「もしも足りなかったら困るでしょう。」

と、言ってくださって、余分に発行して下さいました。

実際足りなくなったら、再発行もできるそうです。

 

一般的な手続きとして書いたので、具体的なことは法務局のホームページを見て下さいね。

「法定相続情報証明制度」について:法務局

 

 

4. 相続税のタイムリミットはすぐ来る

 

実際、父が亡くなった後の、様々な手続きに関わって感じたのが、相続税申請の期限が、故人(被相続人)の死亡日の10か月後がタイムリミットなのですが…

結構、あっという間に日が経っていくという事でした。

 

この法定相続情報証明制度の利用するメリットは、故人の戸籍謄本の提出の簡便化にあります。

スピーディーに手続きを済ませるのに、大変役に立ちました。

 

 

例えば、父の戸籍謄本をとるのに1ヵ月。

(父の出生地が他県だったので、役所とメールでやり取りをしました。)

 

銀行は、手続きの予約を取るのに1週間。

 

そして、いざ銀行で手続きをしようとしたら、たった2円しか入っていない休眠口座がみつかり、新たな書類を県外の兄弟に送って、改めて印鑑を押して送り返して貰って、それから再度銀行の予約とるのに1週間。

全く郵送代のほうが高くつく…。(苦笑)

 

予約を取ってから、必要書類を提出し、手続きが終わるのに1週間。

 

また、税務署への申告は、そもそも訳の分からない複雑な書類をいっぱい書かなくてはいけない。

ボールペンで書くので、どれだけ書き損じて書きなおしたことか。

(話は変わりますが、忙しい兄妹間の連絡は、ラインが便利ですね。電話代がタダだし、写真も送れるし。大変重宝しました。)

 

 

そんなこんなで、あっという間に時間がたちました。

だから、原本が必要と言われ、戸籍謄本を提出したまま、戻ってこなかったら…

そうなったら、取り直しにまた1ヵ月もかかるのです!!

 

 

5. 結びにかえて

 

 

以上、法定相続情報証明制度の利用の仕方と、メリットについてご紹介しました。

 

実際は相続手続きに関しては、ほとんどの人が、全てではないにしろ、その一部をその手のエキスパートに依頼するとのことです。

 

しかし、時間があって、おかれた環境が複雑でなければ、自分たちですべての手続きをするのは不可能ではありません。

 

(同居していたつもりでも、階段をどこに設定するかによって、同居の定義に当てはまらない場合があるのですって。この場合は、複雑ですね。)

 

 

分からないことがあったら、親切に教えてくれる相談の窓口もあります。

 

そして、個人的にも、勉強にもなりました。

 

と、偉そうなことを書いていますが…

実は、面倒な戸籍取得と、一番煩わしい税務署への書類作成はほとんど兄に作成してもらいました。(苦笑)

 

 

 

 

皆様が、これから関わることがあるかもしれない作業。

少しでも、簡便にさせる制度の紹介が、お役に立てば幸いです。

 

 

今日も…日日是好日

今日は、ブログ開設3周年記念日です。


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春は、もうそこまで来ていますね。

 

 

 

時がたつのも早いもので、おかげさまで、ブログを開設して本日で3年目となりました。

そして、今日まで無事にブログ投稿を継続できました。

 

昨年は、ちょうど忌中に当たっており、開設記念日の投稿はスルーしたので、本日この記念すべき日に投稿できて、とてもうれしいです。

 

 

ということで、私の一年以上前に書いた過去記事から、まだ引用のしたことのない記事で、宜しければ皆さんに読んでいただきたいな、と思う記事を選んでみました。

 

気がついたら、地味な記事を選んでしまった…(笑)

 

まず、これ。  ↓

 

この記事は、この3周年に出す記事を探しているときに、改めて読んで笑ったので、選んでみました。

 

うろ覚えのタイトルで本を探している人に、福井県立図書館の職員が探しだした本のリスト。

 

今は、この記事を書いた時より、リストが増えています。

 

最近追加されたのは読んでないけど、この記事を書いた当時はは、笑って笑って笑いまくりました。

 

gracedusoleil252525.hatenablog.com

 

 

 

次にこれ。  ↓

 

3年近く前の4月で、まだコロナが流行りだしたばかりの時の記事かな?

 

今よりも、コロナの罹患者ははるかに少なかったけど、得体のしれない流行り病という事で、本気で怖かったです。

 

この時の閑散とした街と比べたら、今は賑やかさを取り戻しつつありますね。

でも、もう3年もコロナが流行しているという事実!!

 

この時は、想像できなかったなぁ。

 

そろそろ、マスクを外したい。

しかし、政府が推奨しても、やはり外すのが怖いと思う今日この頃です。(苦笑)

 

gracedusoleil252525.hatenablog.com

 

 

 

最後にこれ。  ↓

 

この記事は、非常に反響が大きかったので出しました。

 

寝たきりの父が食べるお菓子について、誤嚥性肺炎を引き起こす危険があると言われた時のお話です。

 

寝たきりで、食べることが唯一の楽しみである父と、楽しみをできるだけ諦めさせたくないけれど、だからと言って実際食べると誤嚥性肺炎の危険がある…。

 

ベストな方法として、落ち着いたのはどんな方法か…という話を書きました。

 

もし、自分が寝たきりになったら、もしくは大切な人が寝たきりになったら…

参考になれば、幸いです。

 

gracedusoleil252525.hatenablog.com

 

 

 

 

 

ところで、私は、プロフィールに書いているように、日常のよしなしごとを随筆のように綴っていければと思って投稿しています。

 

奇しくもご縁をいただいているはてなブログ

 

以下は、私のはてなブログに対する思いを表した妄想です。

 

 

私は、中学高校のクラブ活動みたいに、はてなブログサークルの一員として、記事を書いている。

 

いつも、コメントや、ブックマークをくださる方は、今やお互いのブログを訪問し合う、かなり親しくなった仲間のような感覚の方が多いので、同じ中学同じ高校のサークルメンバーみたいな存在。

(お互いの作品を批評して高めあうのがサークルメンバーなのでしょうが…実際はは批評なんてしませんね…笑

 

スターをつけて下さるブロガーさんは、他校で、やはりはてなブログサークルに入っていて、同じ目的にむかって突き進むライバルみたいな存在。

(現実はライバルとしのぎを削るということとは程遠く、わたしはお気楽に綴っております。)

 

そして時々作品の発表会がある…それはイコール投稿。

(わたしは、最近投稿間隔が開いているので、ちょうど投稿が発表会感覚になっております…笑)

 

 

まぁ、こんな風に想像しながら、最近は記事を書いています。

 

1年後には、どういう思いで、ブログを書いているかしら。

そもそも続いているかしら?

 

 

ところで、昨年、日本語の美しさを知ってもらいたくて、サブブログを立ち上げようと考えていました。

 

『古典の世界へようこそ』というタイトルをつけて、百人一首を一首ずつ、四季折々の景色の写真を添えながら、紹介しようと思ったのですが…

 

下書きを数記事書いてみることは、書いてみました。

 

しかし、最近このブログ『泣いても笑っても日日是好日』でさえ投稿間隔が開き気味になっていることを考えると、サブブログを立ち上げる時間の余裕がないのです。

 

とりあえず下書きの削除はしないで、しばらくは『泣いても笑っても日日是好日』一本でいく予定です。

 

 

 

 

本日は、ブログに対する思いと、現状報告をさせていただきました。

 

ブログを読んだり書いたりすることは、とても楽しい。

 

そういう機会を与えてくれたはてなブログさんに感謝。

ブロガーの皆さんに感謝。

 

皆さん。

いつも、私の拙い記事に目を通して下さり、本当にありがとうございます。

 

これからも読んでよかった~、と言っていただけるような記事を書いていきたいと思いますので、どうぞよろしくお願い申し上げます。

 

 

 

今日も…日日是好日

今年は、目標を決めて頑張るぞ!!

特別お題「わたしの2022年・2023年にやりたいこと

 


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今回は遅ればせながら、お題に沿って、私の今年の目標について書いてみたいと思います。

 

それは、ずばり一日一善!!

 

 

 

 

皆さんは無財の七施を知っていらっしゃいますか。

『雑宝蔵経』(ぞうほうぞうきょう)という、説話集のようなお経の中に出てくるそうです。    

その七つとは、                         

 

  1. 眼施         優しい眼差しで相手のことを思い、見守ること。
  2. 和顔施     いつも和やかで、穏やかな顔で人に接すること。
  3. 愛語施     優しい言葉、 思いやりのある態度で言葉をかけること。
  4. 身施         自分の体を使い、お手伝いさせて頂くこと。 
  5. 心施         他人のために心を配り、心底から共に喜び、共に悲しむことが出来ること・ 
  6. 牀座施      席を譲る行為など、手を差し伸べる具体的な行為をすること。
  7. 房舎施      地震や水害などで外で凍える人のために、風や雨露をしのげるように場所を提供すること。

 

ざっと、このようなことを指します。

 

最初に、無財の七施を目にしたとき時が数年前。

いいこと書いているけど、実行するにはかなりハードルが高いな、と感じました。

 

そんな風に感じながらも、頭のすみに少しだけ気にかかっていたのでしょうね。

 

次にこの言葉にであったのは、YuYuさん(id:sakurado)のブログでした。

 

YuYuさんは、やさしく、柔らかく語り掛けるような口調で、本やご自身が作っていらっしゃるお細工物、「生きるために励みとなる指針」になるような考え方の紹介など…について綴ったブログを運営していらっしゃいます。

 

無財の七施に当てはめるならば、記事から察するに少なくとも和顔施、愛言施パーフェクトのお方です!!

 

 

www.sakuradoo.com

 

 

 

で、このハードルが高そうな無財の七施についてもYuYuさんの記事ををお読みするとなぜかわたしにもできそうに思ってしまうから、あら不思議。

 

例えば、

7番目の房舎施についてですが、

 

地震や水害などで外で凍える人のために風や雨露をしのげるように 場所を提供すること。

 

と書けば、堅苦しくハードルが高く感じるのですが、YuYuさんは、

 

来客を温かくおもてなしすることです。また家族に対しても、「おかえりなさい」「おつかれさま」など、温かく迎えることもいいます。

 

とおっしゃる。

 

これならば、自分にも実行できそうです。

 

因みにYuYuさんは、もう一つ、無財の七施耳施を付け加えていらっしゃいます。

 

人の言葉に耳を傾ける、無心で聴く。

 

という事ですって。

 

と言うことで、本年は、この無財の七施、いやいや耳施をくわえた八施に当てはまる何かを、一日一善として一つ行おうと思います。

 

えっ、一つじゃ少ないって?

 

なにをおっしゃるうさぎさん。

 

凡人の私には、一日一つできただけでも、相当の前進と思うのです。

これでも、ちゃんと、できるかなと言う感じですよ。(笑)

 

 

 

で、今年の抱負のもうひとつの目標は…

 

中国語検定準4級に合格すること

 

このレベルは英語だと中1レベルに相当するのかしら?

いや、小学生レベル?

 

 

でも、記憶力も、集中力も長続きしない昨今。

あせらず、地道に勉強していきたいと思います。

 

実は、勉強の類いの目標を作ったのは、久しぶりです、

 

 

父が亡くなった時、弔問にきてくださった民生委員さんから、

 

「これから、あなたの時代だから、好きなことをしなさい。」

 

と、言われました。

 

 

 

そうよね、これからは自分のために時間を使おう!!

 

 

 

アルバイトは、母の体調が悪くなってから、日常生活のサポートが必要になり、やめました。

 

父は、亡くなる2年前くらいから介護施設に入りましたが、体調がいつもいい訳なく、なんやかんやと、しなければならないこと、駆けつけなければいけないことがありました。

介護施設に入ってもこのようだから、自宅介護の方は本当に頭が下がります。)

 

 

そして今、父に関する煩雑なお役所手続きも終わり…。

子育てもそろそろ終わりに近づき…。

 

 

 

確かに自由な時間が増えました。

けれど、自由な時間は増えたけど、自分の好きなことって何だろう?

 

あまりにも長いこと何もしていなかったので、したいことが見つかりません。

しかし、このままではいけない。

何か社会から、取り残されているような気がする…。

 

光陰矢の如しと言うけれど、本当に気が付けば、あっという間にこのような歳になってしまいました…。

(私の歳?…それはひ・み・つ)

後悔先に立たずで、毎日、5分間でも何か勉強をしておけばよかったと思います。

 

 

 

 

だから今、自分は自分のために頑張る、という事をしたい!!

 

 

 

そんな時、目に止まったのが中国語です。

 


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引用:NHKラジオ  らじるらじるアプリより

 

 

 

 

どうして中国語かって?

 

 

 

 

 

実は、過去に英語を上達させたい、と勉強したことがあったけど、三日坊主に終わりました。

どうも、発音がペラペラペ~ラ、ペラペラペ~ラとしか聞こえず、私にはセンスがないものとあきらめました。

洋画を字幕なしで見たいのですけどね…。(苦笑)

 

その点、中国語は比較的、一語一語の発音がはっきりしているし、漢字を使うので馴染みやすい。

まだ、さほど勉強したわけではありませんが、確かに英語より聞き取りやすい。

 

そもそも、わたしは『三国志』などの中国の古典や、李白杜甫などの漢詩も大好きなのです。

宮城谷昌光の、古代中国ものの小説も大好き。

 

因みに、日本の古典も大好きです。

日本の古典は、情緒豊かな美しい言葉が多く、高校生のときも、授業が楽しくてたまりませんでした。

世界に誇る文学だと思っています。

 

 

 

話が、それました…(笑)

 

 

 

ということで、中国語準4級からチャレンジします。

そして、徐々にレベルをあげていければ…と思います。

 

最終的には、中国語を使って誰かの役に立ちたい…。

 

 

 

今のところ、三日坊主にはなっておりません。(笑)

 

 

以上が、私の今年の目標です。

 

公表するのが恥ずかしかったけど、途中ギブアップするかもしれないので、ブログに書く事によって、モチベーションを上げます!!

 

 

 

一日一善と中国語!!

 

頑張るぞ~!!

 

 

 

今日も…日日是好日

 

 

 

 

今年の初ウォーキング…初詣では三寺参り。


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初日の出      いつ見ても、幻想的です。

 

 

 

 

寒中お見舞いを申し上げます。

 

皆さん、お久しぶりです。

お元気でいらっしゃいましたでしょうか。

 

本年が、皆様にとって、穏やかで、かつ幸せを感じる一年となりますように、心からお祈り申し上げます。

 

私も、皆さんが読んでよかったと思えるような記事を、今年も書いていきたいと思いますので、どうぞよろしくお願い申し上げます。

 

 

 

 

 

 

 

さて、おかげさまで、先日やっと父の一周忌の法要を終えました。

今回も筑前琵琶の般若心経を聞くことができました。

以前、初めて筑前琵琶の旋律にのせての般若心経を聴いたとき、お坊さんに

「素敵でした。」

と言ったら、法事の時、いつも琵琶を持ってきてくださいます。

ありがたいなぁ。

 

それにしても、年末から一周忌の法要まで、全く怒涛の如く過ぎていきましたよ。

 

お正月はのんびりできるなんて、どうして思ったのでしょうか。(笑)

早々にお節料理は食べ終わるし、家族が皆一つ家にいるので、日頃より食事の用意が大変だったような…(笑)

 

それでも一昨年は、お節料理を作っている時に、父が倒れ病院に駆け込むという、バタバタとする大晦日だったことを考えると、今年は一転穏やかな大晦日なりました。

 

 

そういえば、子どもが小さい頃は、年末年始と言うと里帰りで夫の実家、自分の実家にいつ行くか、甥姪たちと自分の子を遊ばせてやりたいという思いで、スケジュール調整も大変でした。

しかし、いつの間にか、自分が今住んでいる家に、子どもが帰省してくる…

 

あぁ、あれからたくさんの歳月が流れたのだなぁ、としみじみ思います。

 

 

 

ところで、昨年末、土壇場でやっと健康診断の結果がきました。

適度な運動をしていたためか、コレステロールの値は若干下がっていたけど、今度は不整脈が見つかって落ち込みました。

 

ただ、兄たちに話すと、どうも、私の家系はそもそも心臓と呼吸器系が弱い家系らしくて…

確かに、自分は子どもの頃から呼吸器系が弱いのです…

今では、なんとなく健康診断の結果に納得しております。

 

という訳で、いつも喪中のお正月は、神社にもお寺にも行かないのですが、せめてお寺参りをしようという事で、三社参りならぬ三寺参りをすることにしました。

 

ブログについても当初、今年最初の記事は、新年の抱負を書こうと思いましたが、せっかく外出したので、昨年のイルミネーションに引き続き、初ウォーキングという事で地図を見ながら、お寺の初詣のお話にしたいと思います。

 

 

 

 

で、三寺参り…どこに行こうかと検討した結果、

  • 最上稲荷常光寺(福岡市南区)…なんてことはない、テレビで岡山の最上稲荷が放送されていたので、福岡にもあるねぇ、それなら行ってみようか、ということで。(笑)
  • 東長寺(福岡市博多区)…ここは博多駅の傍にあります。由緒のある有名なお寺ということで。
  • 安国寺(福岡市中央区)…ここは、夫の家の菩提寺だから。

 

この3つのお寺に行くことにしました。

 

結果から先に言うと、どのお寺も大変趣がありました。

改めて福岡の神社仏閣の紹介という事で、個別に記事にしていきたいと思います。

(ただ、神社と違って、お寺は撮影禁止の場所が多く、そこが悩ましいです。)

 

 

さしおり、今回はさらっと紹介しますね。

 

 

 

⓪ 最上稲荷常光寺(日蓮宗

 

日本三大稲荷 ( どの場所を数えるかは、何バージョンかあるそうです ) の一つと言われる、岡山の最上稲荷(最上位経王大菩薩)を大正時代に分霊した寺院です。

浪曲酒井雲(村田英雄のお師匠さん)、伊藤博文の第2婦人の中山金より寄贈された石碑があるそうで、往時は大変栄えたとのことです。

 

 

 

本堂

お正月は、本堂が解放されて、ご本尊を拝むことができます。

 

奥の院 (写真が斜めですみません。)

筑紫の山の神様である安高天王他、日車天王、如意龍宝が祀られています。

 

 

 

 

 

 

 

 

最上稲荷常光寺が郊外の住宅地にあるので、バスに乗って、天神を経由して、東長寺に近い呉服町のバス停でおりました。

 

 

ここからは、地図を見ながら歩いていきましょう。

 

① 呉服町バス停  

② 聖福寺臨済宗

➂ 妙楽寺臨済宗)

➃ 東長寺真言宗

⑤    櫛田神社の参拝者の行列

⑥    川端商店街

⑦ 那珂川沿いから見たアクロス福岡

⑧    那珂川に架かる橋から見た博多湾方面

⑨    福岡市赤煉瓦文化館

⑩    安国寺

 

 

 

 

 

① 呉服町バス停       

        

バスに、お飾りの国旗がはためいています。

 

そういえば、ここ何年も、お飾りをしている車を見ないですね。

我が家も、車のお飾りをしなくなったけど…このような風習はすたれていくのかな?

ちょっと寂しい気持ちです。

 

 

呉服町から、大博通りを通って、そのまま東長寺に行くつもりだったのけど、細い小道の奥に、聖福寺が見えている!!

行ったことがないので、寄ってみることにしました。

予定外のお寺参りです。

 

 

 

 

② 聖福寺臨済宗

 

聖福寺は、建久6(1185)年に栄西(1141~1215)によって建てられた日本で最初の禅寺です。

 

また栄西は、留学していた宋から帰国する際に、お茶の種子を持ち帰って栽培し、お茶を飲む習慣を広めるきっかけを作ったお坊さんとして知られています。

 

 

 

 

境内の中は、ものすごく広かったです。

広いのに、参拝客がほとんどいない。

 

うまく表現できないけど、茶色?黄土色?の風景?

う~ん、雪はないけど、風が吹きすさぶザ・冬の風景って感じ。

印象としては、もの寂しい風情でした。

 

わびさびの世界とは、このような感じなのかな?

ふと、西行法師は、こういうところを旅したのかなと思いました。

 

ここでは、仏殿(阿弥陀如来、釈迦如来弥勒如来)にお参りしました。

 

しかし、たくさん写真を撮ったにも関わらず、帰り道、改めて看板を見たら撮影禁止ですって。

泣く泣く削除しました。

 

 

 

➂ 妙楽寺臨済宗)

 

 

ここは、通り過ぎただけ。

博多の豪商神谷宗湛の墓があるとか。

 

 

 

➃ 東長寺真言宗)

 

寄り道しながら、やっと東長寺まで来ました。

正式名称は、東長密寺。

東長寺は、空海が建てた最古のお寺です。

福岡2代藩主黒田忠之の他、福岡藩主の墓もいくつかあります。

 

ここは、普段から外国人の観光客が多いけど、この日もそこそこにいました。

 

 

東長寺入り口

 

東長寺で有名なのは、福岡大仏。

 

紅白の幕の向こうが、福岡大仏参拝の入り口となっています。

 

平成4(1992)年に完成した、木造の釈迦如来坐像。

木造坐像としての大きさは日本最大級だとのこと。

(高さ10.8メートル、後輩の高さ11.6メートル、重さ30トン)

 

そして、やはり福岡大仏も撮影禁止です。

 

 

 

 

平成23(2011)年にできた五重塔

釘を使用しないで作られたのですって。

博多駅から歩いてくるときは、この五重塔を目印にすると分かりやすいです。

 

 

 

本堂

 

不動明王、千手観音、弘法大師像があります。

 

 

 

 

 

⑤   櫛田神社の参拝者の行列

 

櫛田神社は、博多祇園山笠のお祭りがある神社です。

 

参拝客が、ずらずら並んでいますね。

写真に収めきれないほど、まだまだ左側に参拝客が並んでいました。

さすが、櫛田神社!!

 

 

 

⑥川端商店街

 

前回の記事ではイルミネーションの飾りをしていましたが、今回は国旗を飾っていますね。

こちらも、お正月バージョン。

 

 

 

⑦ 那珂川沿いから見たアクロス福岡

 

階が上がるごとに狭くなっているのが、アクロス福岡です。

音楽や、劇、講演、様々なイベントが行われます。

 

 

 

⑧   那珂川に架かる橋から見た博多湾方面

 

真ん中の尖塔の辺りは博多ふ頭。

 

ここから、志賀島や、壱岐対馬、はたまた韓国釜山行きの船がでています。

時には、豪華客船が停泊します。

 

 

 

⑨   福岡市赤煉瓦文化館      旧日本生命保険会社九州支店(重要文化財

 

 


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明治42年に竣工。

19世紀末にイギリスで流行したクイーンアン方式と言うデザインとのことです。

中は、アールヌーボー風の装飾もあります。

 

学生時代、福岡市歴史市資料館として開館していた頃は、時々訪れていましたが、もう何十年も中に入ったことがありません。

 

 

 

⑩安国寺(曹洞宗)

 

喧騒なる天神に、突然静かな空間が !!

知る人ぞ知る親不孝通りの近くにあります。

 

入り口

 

 

本堂

 

ご本尊はお釈迦様。

 

 

 

このお寺には、飴買い幽霊の伝説があるのですよ。

 

 

ある日、若い女性が、飴屋さんに飴を買いに来たのですって。

それも夜中に。

 

毎夜毎夜買いにくるので、不思議に思った飴屋の主人が、女性の後をつけていくと…

 

なんと、女性は安国寺にあるお墓の中へと姿を消したそうです。

 

このことを、飴屋の主人が、お寺の住職に伝え、女性が消えていった方を探すと、なんとお墓の中から赤ちゃんの泣き声が。

 

その後、赤ちゃんはお墓から救い出され、大切に育てられたとのことです。

 

 

 

 

 

ここで、私達はお墓参りをして、初詣でウォーキングは終了しました。

 

この日もよく歩きました。

呉服町から、大体2.5kmくらいでしょうか。

 

 

 

 

 

この後、家に帰って家族で話したことは…

 

 

「参拝客があまりいなかったから、ざわざわとせず、ゆっくりと落ち着いた参拝ができたね。」

「来年からは、初詣でに、お寺を含めてもいいね。」

「別に神社ばかりにこだわる必要もないし。」

 

来年から、初詣でのコースが変わりそうです(笑)

 

 

 

 

 

いかがでしたか、初ウォーキング。

ご一緒に楽しめましたでしょうか?

 

最後に、もう一度地図を出しておきますね。

 

① 呉服町バス停  

② 聖福寺臨済宗

➂ 妙楽寺臨済宗)

➃ 東長寺真言宗

⑤    櫛田神社の参拝者の行列

⑥    川端商店街

⑦ 那珂川沿いから見たアクロス福岡

⑧    那珂川に架かる橋から見た博多湾方面

⑨    福岡市赤煉瓦文化館

⑩    安国寺

 

 

 

 

 

 

 

 

今回は、初詣での話なので、はやく投稿しなければ、と急いで作成した記事となりました。

 

 

推敲の時間もあまりとらなかったので、誤字脱字や分かりにくい表現があったらすみません。

(いつものことでしょうと、つっこまないでくださいね…笑)

 

 

 

次回は、今年の抱負についてお話したいと思います。

(2月になったりして…笑)

 

 

 

改めて…

今年も、皆様にお会いできて嬉しいです。

本年も、どうぞよろしくお願い申し上げます。

 

 

 

 

 

今日も…日日是好日

 

冬の風物詩…イルミネーション探訪記


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博多駅のイルミネーション

 

いよいよ、年の瀬になってきましたね。

皆さん、忙しくしていらっしゃいますか。

 

本記事は今年最後の記事となります。

 

 

 

さて、12月某日は、私の誕生日です。

 

毎年、誕生日が近づくと、

「欲しいものはない?」

と聞かれるのだけど、なかなか欲しいものってないんですよね。

 

欲しければ自分で買いますし、断捨離している身には物を増やしたくない。(笑)

 

と、いうことで今年は、物のプレゼントでなく、家族でイルミネーションを見に行くことにしました。

 

夫と娘は、会社の帰りに毎日見るから、ことさら珍しくもなく、さほど感激もないらしいけど、私は違います。

 

だって、夜は、お夕飯の準備をしなければいけないので、単独の外出なんてできやしない。

夜の外出といえば、せいぜい、夜の町内会の集まりぐらいでしょうか。(苦笑)

 

 

 

 

さて、博多駅と福岡市の繁華街…天神…のイルミネーションは特にきれいです。

 

そして、博多駅と天神ふれあい広場では、イルミネーションにあわせてクリスマスマーケットが開催されています。

 

このクリスマスマーケット…福岡市の活性化に繋げようと、10年くらい前からこの時期に開催されています。

 

 

どちらのイルミネーションも見たい私は、博多駅から天神まで、道々出会うイルミネーションも楽しみながら、歩くコースを選びました。

 

私たちが歩いたコースはこれ。↓

だいたい2.5kmくらいでしょうか。

 

 

前記事から懲りずに、またまた地図を作成してみました(笑)

青い線は、地下道を歩いたところです。

①  博多駅

②  川端商店街

➂  一蘭ラーメンの本社ビル

➃  那珂川からの眺め

⑤  旧福岡県公会堂貴賓館

⑥  アクロス福岡

⑦  天神中央公園

⑧  福岡市役所西側ふれあい広場 

 

 

では、皆さん、さっそく出発しましょう。

 

 

①  博多駅

バスを降りて、信号待ちの時に撮ったもの。

青と白の光で、神秘的な北の国の印象を醸し出していますね。

 

道路を渡って、光のトンネルを抜けると…

 

おぉ、大きなクリスマスツリー!!

 

この後、あまりにも寒かったので、祇園町まで地下道で行くことにしました。

 

地下道の上は大博通り

 

大博通りには、大きなホテルもあり、きれいに飾り付けされているだろうな、と思いつつも、寒さをしのぐ方を選んでしまいました(苦笑)

 

 

祇園町に着いてからは、アーケード街である川端の商店街を突破します。

 

② 川端商店街

商店街も、きれいに飾りつけされていますね。

 

この商店街は、南側の出入口が、櫛田神社の側面の入り口、北側の出入口が、博多リバレイン博多座に通じる通り(明治通り)となっています。

この写真の奥は、北側の出入口です。

 

 

③ 一蘭ラーメンの本社ビル

 

川端商店街を出てからは、明治通りを天神方面に歩いていきました。

 

その途中で見つけた、ラーメン屋さんのビルのイルミネーション。

提灯がクリスマスツリーの飾りに見えます。

皆さん、一蘭と言うラーメン屋さん、知っていますか?

知っているのは、地元の人だけかな?

 

 

 

那珂川からの眺め

そして那珂川にかかる橋から、南東方面を見たところ。

 

船もキラキラして、雰囲気がハウステンボスキャナルクルーザーみたいです。

 

⑤ 旧福岡県公会堂貴賓館 (国指定重要文化財)

おとぎ話に出てきそうな建物で、ごちゃごちゃしていないシンプルな色の配置がいいですね。

 

思わずシャッターを切りました。

 

 

さて、ここからは、アクロス福岡を突破していきます。

 

➅ アクロス福岡

サンタクロースをお迎えしている子どもたちでしょうか…。

絵本の世界ですね。

 

天神中央公園

 

アクロス福岡を出ると、目の前は天神中央公園

またまた光の競演です。

 

 

 

 

どこも、本当にきれいですね。

街が光かがやいて、光の国に来たみたい。

(ウルトラマンの故郷ではありません。)

 

 

⑧福岡市役所西側ふれあい広場

 

さぁ、終着点天神の市役所前広場まで来ましたよ。

 

博多大丸側(ふれあい広場の南側)から、眺めています。

クレーンがいっぱいありますね。

今、天神は大規模再開発真っ最中なのです。

 

ふれあい広場では、イルミネーションを見るために並ばなくてはいけませんでした。

 

サンタさんがいっぱい。

 

クリスマスマーケットではステージが設けられ、音楽演奏もしていました。

(博多どんたく港まつりのときも、ステージが設けられます。)

 

 

私たちは、ここでステージを見ながら、ホットワインを飲みました。

ものすごく冷えていたので、体が温まり、おいしくいただきました。


f:id:gracedusoleil2525:20221218213747j:image

 

 

 

イルミネーションの写真は、いかがでしたか?

 

これで、イルミネーション探訪はひとまず終わりです。

 

皆さん、おつかれさまでした。

 

 

 

 

 

 

参考のため、もう一度地図を載せますね。(笑)



 

 

さてさて、私たちは、賑やかな繁華街にさよならをして、自宅のある住宅街にもどってきました。

 

 

住宅街にも、イルミネーションを飾っている家がちらほらあります。

 

こじんまりではありますが、繁華街と違って、し~んとしたなかのきらきらしたイルミネーションは、とても美しい。

 

イルミネーションだけでなく、家の中でも灯りがともされていると、暖かい部屋で楽しく団欒をしているのかなと、心がほっこりします。

 

この瞬間だけかもしれませんが、生けとし生けるものがすべて愛しく、来年こそ世界が平和になってほしいと、心から思いました。

 

 

 

そして、駆け抜けてきた一年が無事に終わりそうなことを感謝しました。

(ちょっと、おセンチになっている…)

 

 

 

その時…

 

ちょうど、雪もちらほら振りだしました。

 

 

 

 

 

 

さて、いよいよ今年も残りあとわずか。

最後に、私の大好きなこの曲をアップして、今年1年間の記事の締め括りにしようと思います。

 

数年前、パイプオルガンのクリスマスコンサートに行ったとき、アンコールで演奏された曲です。

(バロック音楽、特にバッハの音楽が大好きなんです。)

 

この曲が大好きと言っていた、わたしの大切な友達も聴いてくれているかしら。

 


www.youtube.com

 

引用:YouTubeより

 

 

 

 

 

 

 

来年は、早々に父の一周忌があり、バタバタすると思いますので、初投稿はその行事が終わって、落ち着いてからにいたしますね。

 

ちょうど、喪が明けるタイミングにもなりますし。

 

皆さん、今年もお世話になりました。

 

わたしの拙い記事をいつもお読みくださり、ありがとうございました。

 

来年もどうぞ、よろしくお願い申し上げます。

 

 

 

それでは、ちょっと早いけど‥

 

皆さん、よいお年をお迎えくださいませ。

 

また会う日まで、ごきげんよう

 

 

今日も…日日是好日

あれあれ、こんなところにこんなものが…娘と夫と日拝塚古墳

日拝塚古墳   

(ひはいづかこふん…福岡県春日市下白水南)

 

 

皆さん、こんにちは。

めっきり寒くなってきましたね。

暗くなるのも早いし、本格的に冬が来たのだと実感しております。

 

今日は、ある日偶然訪れた古墳の話を、その日の出来事と一緒にお話したいと思います。

 

私の長女は昨年就職しまして、ジョブローテンションの真っ最中です。

そして今、ある郊外のお店へ派遣されています。

 

そこは、家から1時間以上かかるところです。

 

ある日、夕食を食べていると、娘が、

「Tちゃんの家ではね、休日出勤のとき、仕事が終わる時間にお父さんが車で迎えにきてくれるとよ~。」

と言います。

Tちゃんと言うのは、娘と入れ替わりに、そのお店に派遣されていた同期です。

 

夫は、

「ふ~ん。社会人なのにお迎え?過保護やねぇ。」

と言っておりました。

 

そういえば、わたしが、昔就職していたときに、やはり日曜出勤のとき、父に朝早く、職場まで送ってもらった話をしたときも、

「あんたの家、過保護やねぇ。」

と言ったのを思い出しました…。(苦笑)

 

しかし、娘もさるもの。

「どこの家でも、それくらいしとるよ!」

(しているかどうか、知りません。)

 

その時は夫が、

「よそはよそ、うちはうちたい。」

といって話は終わりになりましたが…。

 

次の日曜出勤のとき、夫が娘に

「今日はお休みやけん(夫の会社)、迎えにいってあげよう。」

ですって。

心のなかで、どこの家でも…という言葉が残っていたのでしょうか…(笑)

 

 

 

 

というわけで、その日から今に至るまで、休日出勤のときは必ずお迎えにいっております。(苦笑)

 

娘の一言、恐るべし。

 

ただ、夫は一人では行きたくないらしく、わたしも毎回お付き合いをさせられます。

それが、すこし面倒だといえば、面倒…。

娘と夫1対1だと照れ臭いのかな。(笑)

 

 

ところで、最初にお迎えにいったとき、早めに着きすぎて、すこし辺りを車で回ってみようということになりました。

 

その時、偶然見つけたのが日拝塚古墳です。

 

 

写真もとってきましたので、ちょっと紹介したいと思います。

 

日拝塚古墳は、6世紀につくられた前方後円墳です。

全長は周溝を含めて約61m。

高さは5.5m。

 

きっと、このあたりを治めていた首長のお墓なのでしょうね。

 

日拝塚古墳の名前の由来は、前方後円墳の主軸がほぼ東西に向いていて、お彼岸に16㎞離れた大根地山からのぼる太陽を拝むことができたことから、つけられた名前だそうです。

 

 

 

 

閑静な住宅地から突然現れた、前方後円墳をみつけてびっくり。

 

 

なだらかで、美しくさえ思われます。

古墳を登ると、崩れてしまうとのことで、近くから眺めるだけです。

 

誰もいなくてし~んと静まり返って、風の音だけがそよそよと響きます。

 

先ほども書きましたが、この古墳は主軸がほぼ東西を向いているとのこと。

東側が、前方後円墳の円の部分になります。

この写真では、北側から見ているので左側が東の方向です。

 

 

反対側(南側)に回ってみました。

今度は右側が、東になります。

 

石室の入口が見えますね。

そして、溝(周溝)の跡も分かります。

 

 

 

石室は、中に入れないようになっていました。

 

因みに、石室は横穴式石室で、亡くなった人を安置する玄室は、

奥行き3.6m。

幅2.6m。

高さ4m。

 

 

昭和4(1929)年に石室内から、銅鏡、耳飾り、ガラス玉などの装身具、鉄刀、鉄矛などの武器、馬具、須恵器などが出土したのですって。

 

そのほとんどが、東京国立博物館に保管されているそうです。

 

 

南側から、西側方面を見たところ。

 

 

 

 

この古墳について、もうちょっと、補足しますね。

 

 

日拝塚古墳のある春日市は、奴国の中心地ともいわれているところで、奴国王墓とされる須玖岡本遺跡も近くにあります。

須玖岡本遺跡 - Wikipedia

 

そして、東西の主軸の東(円の部分。石室がある部分)の先にあるという大根地山(高さ652m)は、古代から信仰されていた霊山。

この山は、宝満山英彦山の山伏たちが峯回りをする時登った、修行の場でもあったそうです。

 

また、大根地山の頂上付近には大根地神社があります。

 

創建の由来は、社伝によると神功皇后が九州で敵対する豪族羽白熊鷲を征伐する際に勝利祈願をしたことにはじまる、とのことです。(現在は稲荷神社)

 

 

この他、春日市の隣那珂川市には、神功皇后がつくったという用水路の裂田溝(さくたのうなで)や、日本三大住吉の一つである博多の住吉神社の、元宮とされる現人神社(あらひとじんじゃ…これまた、神功皇后の時代につくられたとの由緒がある)もあります。

(神功皇后ゆかりの場所のなんと多いことか…)

 

更に、大根地山と、この日拝塚古墳を直線で結んだちょうど真ん中あたりに、太宰府があります。

 

書くだけではよく分からないので、地図をつけますね。

 

 

左  福岡県の地図  

右 日拝塚古墳のある春日市周辺の市町村拡大図

(拡大しても見づらい…泣)

引用:Map-It マップイット | 地図素材サイトより  

 

  ↓  グーグルマップの地図でさらに拡大

スマホでみると、とても見づらいですね。

なので、右端(②)以外の番号を振っている左側(①③④)を、更に拡大します。

少しは見やすくなりましたでしょうか。

 

因みに、番号を振った地点は、以下の通りです。

 

① 日拝塚古墳(春日市

② 大根地山(飯塚市

③ 現人神社(那珂川市)

➃ 須玖岡本遺跡(春日市

 

直線距離で

日拝塚古墳⇔大根地神社  約16km(①②)

日拝塚古墳⇔現人神社 約2km(①③)

日拝塚古墳⇔須玖岡本遺跡  約2km(①④)

現人神社⇔裂田溝   神社から南に2km

 

 

近くには、奴国の丘歴史資料館(春日市)もあります。

施設案内 春日市奴国の丘歴史資料館|春日市

 

 

このように、このあたりは、ロマン溢れる古代の息吹きが感じられるところです。

遺跡がかたまっているので、車でさくさくっと廻れば、1日で古代史ツアーができますね。

 

 

 

さて、古代の土地の有力者を賑やかに埋葬したであろう日拝塚古墳も、今は閑静そのもの。

帰るときに、ここでのんびりと犬の散歩をしている人を何人か見かけました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

では、話を戻して…。

 

 

日拝塚古墳をしばし見てから、時間が来たので娘の職場へ。

お店にはいると、挨拶をしなければいけないので、娘も上司のかたも気を使うだろうと思い、駐車場で娘を待っていました。

 

それからは、なんとなく疲れて、食事を作りたくなかったので、帰り道に外食。

久しぶりの外食は美味しくて、上機嫌の夫と娘の話しもはずみました。

 

 

 

 

 

ところで、遺跡のあった春日市は福岡市へも近く、どんどん人口が増えているんですよ。

那珂川市も、昨年那珂川町から、那珂川市になったばかりです。

お食事どころもいっぱい。

 

古代も、現在も住みやすいところは同じなのかもしれません。

 

 

 

 

 

 

 

 

今日も…日日是好日

 

 

 

p.s.

 

日拝塚古墳のくだりで、何がどこにあるのか、分かりにくいだろうなぁと思って、地図をのせましたが…

 

市町村の分布図は、拡大してもどこにどの市町村があるのか見づらい。

 

また、グーグルマップの機能で、日拝塚古墳からの距離を数ヶ所測ろう、と思ってつまづいた。

(始点と終点がごちゃごちゃになった。)

 

ならば、今度は手動で地図に矢印をつけようと思ったが、大根地山を入れたら裂田溝が入らなくなった。

 

しかも、福岡県の市町村と、その拡大図の左右の画像の大きさを揃えるのに、てこずった…。

(縦横の割合を揃えただけではダメで、サイズを揃える必要があることを知らなかった。)

 

やっと出来上がったら出来上がったで、グーグルマップにいれた数字が、実に見にくい。

仕方がないから、数字を見やすくしようと思って、さらに予定外の地図を増やした…。

 

 

 

と、いうことで、まだまだ、地図の作成に改善の余地がありますが、もう、あれこれ試して疲れはててしまいました…(苦笑)

 

次はもっと分かりやすいシンプルな地図をつくるべく頑張りますので、今回はどうぞご了承くださいませ。

 

胃カメラノススメ…胃カメラは色々分かって最強でした!!

(上) 福岡市動植物園    

(下)    水前寺公園  熊本

こんな場所を毎日散歩できれば、健康づくりの張り合いが出ますね…。 

 

 

 

 

皆さん、こんにちは。

今日は、健康について書こうと思います。

 

 

 

 

 

私は、年に1回、健康診断を受けております。

 

その時、がん検診については腫瘍マーカーと言って、血液を採取分析をすることによって、がんの可能性があるか調べる、そういう検診を毎回受けていました。

 

ところが、ある年…いつか忘れましたが腫瘍マーカーで何か(これまた忘れました)の値が悪くて、その値が出た何かを再検査をすることになったのです。

 

再検査の結果は、何ともなかったのですが、その時検査して下さった先生から、

腫瘍マーカーは、ちょっとしたことで、値が変化するからあてになりません。

年に一回、どれでもいいから、きちんとしたがんの検査をするように。

そちらの方が、安心できますよ。」

と言われました。

 

そのため、翌年の健康診断からは、腫瘍マーカーの検査ははずし、健康診断では子宮がんと、乳がんの検査を加えることにしました。

 

で、年に1回位、オリジナルのがん検査をしなさいと言われたものの…。

 

具体的には、肺がん、胃がん、大腸がんと言うところでしょうか…

 

結局は面倒で、何年も放っていました。

(因みに、私の住んでいる所では一定年齢以上になったら、これらの検診を毎年することを推奨しています。)

 

で、最近、市政だよりで、偶数年齢の人は胃カメラ検診の補助が出るという事を知り、

 

それならば、初めての個別のがん検診は胃がんの検診にしよう。

そして、補助の出る胃カメラにするか…

 

と思ったものの、胃カメラと言えば痛い、苦しいというイメージがあります。

 

 

以前、夫が胃カメラ検診を受けた時、途中で麻酔が切れて苦しかったと言っていました。

痛い、苦しいって、恐怖ですよね…全く。

 

胃がんの検診といえば、もうひとつ、はバリウムを飲む方法もありますよね。

 

やっぱり、バリウムを飲むことにしようかな。

でも、もうすぐ健康診断があるけど、その時にレントゲンを撮るし、何度もとりたくないなぁ。

 

あ~はやく決めなければ偶数年齢って、あと2か月で終わる!!

(今月の話です。)

 

と、悩みに悩んだ末、補助がでると言う言葉が後押しとなって(主婦ですから…笑)、やっぱり胃カメラを受ける事に決心。

 

ということで、先日胃カメラの検診を受けてきました。

 

初体験です!!(笑)

 

 

 

で、今からそのレポートを書きますね!!

忘れたところもありますが、どうぞ、ご了承くださいませ。

 

恐怖感を持ちつつ、読んでいらっしゃる読者の皆さんのために、結論から先に言いますと、わたしの場合、何てことなかったです。

どうぞ、ご安心して、お読みください。

 

 

 

まず、いつ受けるか病院に予約を入れます。

 

当日は、病院に早めに行って、色々書類を書きます。

 

そして、血圧を測ります。

 

それから、検査着に着替えます。

 

そのあとが、よく覚えていないのですが、点滴をして、胃を洗浄するためのお薬を飲んで、口の中が痺れるようなスプレー…これが麻酔なのでしょうね…をしました。

この後、待ち時間が長かったので、もう一度口の中に麻酔のスプレーをしました。

 

その後は、ベッドに横になります。

 

ベッドでは横向きになり、先生が眠り薬の注射を打ちました。

麻酔が効いているからか、ほとんど注射をしたという感覚がありませんでした。

(麻酔はいらないという人がいるらしいけど、私にとっては麻酔は必須です。)

 

その後、マウスピースを咥えて、いよいよ口からカメラを入れます。

 

モニターが目の前にあり、意識があれば先生の説明を聞きながら、モニターを見られるのですが、いかんせん、眼鏡もコンタクトレンズもしていない。

 

とにかく、モニターをしっかり見ることが出来ないのですから、先生のおっしゃることもいいかげんに聞いていました。

 

 

「ここが食道です。とかここが胃です。ここが十二指腸です。」

と言われたくらいしか、覚えていません。(笑)

 

でも、全く眠り薬が効かず、頭ははっきりしていたのですよ。

 

全てが終わるまで、10分から15分程でしょうか。

 

後は、血圧を図って、安静のため引き続き1時間ほど横になっていました。

 

暇でしたよ、この1時間。

だって、眠くないのですから。

しかも点滴しているから、身動きもとれない。

 

受付の人が、お客さん対応している声を聞きながら、転がっていました。

 

1時間経つと点滴を外され、起き上がって自分の服に着替えて、改めて先生の説明を聞きました。

 

その時、もう一つ予約をしていたインフルエンザの予防接種もして、全て終了。

 

まぁ、こういう流れでした。

 

眠り薬は結局病院では効かなくて、全くと言っていいほど眠くなかったけど、家に帰って昼食をとった後、急に睡魔に襲われ、結構長い間午睡することになりました。

 

タイムラグがありすぎ…。(笑)

 

 

 

で、タイトルに、最強と書いたのはどういう意味かといいますと‥。

 

胃がんだけでなく食道から十二指腸まで見てもらったこと。

気になるところをいろいろ指摘してもらったことです。

 

その一つは、胃潰瘍とまではいきませんが、私の胃がちょっと荒れていると言う指摘。

 

 

ブログには書いていませんが、最近深刻な心配事がありました。

 

常日頃から、「お母さん、心配しすぎ。」などと言われたりするけれど、家族の健康については、(自分でも認識はしているのですが)本人以上に、心配したり、落ち込んだりします。

なかなか、やっかいな性格です…。

 

 

さて、話を戻して…。

 

食生活については、暴飲暴食はやめて、健康的な食生活を心掛けるようにと言われました。

 

特に、最近の不摂生の心当たりはカフェイン。

ミルクたっぷりですがコーヒー、紅茶が大好き。

緑茶も、ウーロン茶も大好き。

あれっ、一日中、カフェインだらけ。(苦笑)

 

なので、カフェインは朝だけに限定し、麦茶、ほうじ茶などのノンカフェインを午後からは飲むようにしようと思います。

 

 

 

 

そうそう、胃カメラをとる前、初めての胃カメラだというと、

「改めて、ピロリ菌の検査もしましょうね。」

とも言われたけど、その話どうなったのかしら?

 

結局胃カメラが終わって、ピロリ菌の検査のことは、全く言われず、

胃カメラ検査を2年後にまたしようね。」

と言われただけでした。

 

さぁ、次は肺がんと大腸がんの検診もしなくてはいけない。

いつしようかなぁ。

 

がん検診もだけど、目下のところ怖いのは、来月に迫っている健康診断です。

 

今はコレステロールについては値が高くても、昨年再検査のとき、色々説明を受けたので、よっぽどのことがない限り、さほど心配していません。

 

 

でも、他の値については…

 

昨年はバッチリだったのに今年は何で~…ということがなきにしもあらずなので、怖いです。

 

怖いから、先月から、中断していたカロママをまたダウンロートしました。

うんうん、1か月間は、健康管理をしっかりしよう…。

 

gracedusoleil252525.hatenablog.com

 

 

 

 

 

 

皆さん、健康管理、一緒に頑張りましょうね。

 

この記事が、皆さんのお役に立てば嬉しいです。

 

 

 

今日も…日日是好日

 

 

 

おまけの写真

 

拡大したら、少々ぼけてしまったけど、先日の月蝕の写真。

そういえば、内臓の漢字の偏は、にく月ですね!!

 

『ミス・サイゴン』…今の時代、あまりにもリアルすぎる!!

 

皆さん、こんにちは。

10月に、久しぶりのお芝居を観てきましたよ!!

劇団四季キャナルシティ劇場がなくなって、半年ぶりでしょうか。

 

見てきたのは 『ミス・サイゴン

 

博多座の公演は、8年ぶりだそうです。

そして、なんと日本では、初演から30周年となったそうです。

ロングランのお芝居なのですね。

 

このお芝居は、いつか見たいみたいと思っていたお芝居でした。

 

でも、土壇場になって、このお芝居を無事に見終えることが出来るだろうかとも、思うようになりました。

 

こんなお話をすると、皆さんは???となりますよね。

 

 

それと言うのも…

 

 

夏休みに、ミュージカル映画で『オペラ座の怪人』を見たのですが、見終わった時、非常に胃が痛くなったのです。

 

この、リアリストの私がですよ!!

フィクションなのにねぇ。

 

歳のせいもあると思いますが、悲劇には耐性が弱くなってきたのではないかと、不安に思っていたところでした。(苦笑)

数年前に劇団四季の『ノートルダムの鐘』を見た時は、涙がぽろぽろ出たけど、胃は痛くならなかったのですよ。

 

そういう不安を抱えながら見た『ミス・サイゴン』は…

やっぱり見てよかった…。

悲しい中にも戦争は絶対悪と認識させられたストーリーでした。

 

 

 

では、さっそく、お芝居のレポートに入りましょう。

 

博多座

久しぶりに足を運びました。

また、来ることが出来るなんて嬉しい!!

 

 

階段も「ミス・サイゴン」一色ですね。

 

私達が見たのは、マチネ。

満員御礼です。

 

 

それでは、ネタバレにならないよう簡単なストーリーを。

 

 

 

ベトナム戦争中のサイゴン

アメリカ兵のクリスとベトナム人のキムは、恋に落ちます。

 

しかし、時代は2人をこのままにしておきません。

 

クリスは戦争が終わると、キムを連れていくことが出来ないまま、アメリカに帰ってしまいます。

 

残されたキムに子どもが生まれ、一人で育てることに。

 

一方、クリスの方は、アメリカでキムを思いながらも、エレンという女性と結婚する。

けれど、キムのことも頭から離れず、妻とともにベトナムを訪問する。

 

キムはクリスが結婚したことを知り悲しむが、クリスに息子を託すため、自分は身を引く決意をする。

 

ざっと、こんなあらすじです。

 

 

作者は、プッチーニのオペラ『蝶々夫人』のストーリーに着想を得たとか。

あぁ、『蝶々夫人』も悲恋ですね…。

蝶々夫人』のストーリーについては、こちらをどうぞ。

 

蝶々夫人 - Wikipedia

 

 

次に、感想を。

 

音声から、造作に至るまで迫力がありました。

さらに、オーケストラピットもあって、音楽でも盛り上がります!!

 

特にクリスとキムが終戦の混乱の中、ヘリコプターでアメリカに脱出しようとする場面は、とても臨場感がありました。

 

そして、キムが結局ヘリコプターに乗ることが出来なくて、ベトナムに残るシーンは見ている方にとてもつらいものがありました。

 

 

 

因みに、博多座は『ミス・サイゴン』のお芝居のために、ヘリコプターを現物の大きさに見せることが出来るように設計されたのですって。

博多座の設計に影響を与えるほどの、有名なお芝居なのですね。

 

 

 

 

話も終盤、ベトナムに、クリスが来ていることを知ったキムがクリスに会いに行こうとした場面。

 

クリスはキムを探しに行って外出中。

(すれ違い…悲劇にはあるあるですね…)

 

そこで、エレンに息子を託そうとするが、断られてしまう。

 

で、クリスが帰ってくる前にピストル自殺をし、息も絶え絶えなところにクリスが戻ってきて、息子のことを頼んで死んでいく。

 

というラストシーンとなるのですが…。

 

 

やはり、もし、キムが冷静な行動が出来ればと、つい考えてしまうのです。

 

例えば…自殺する前にクリスとエレンと三人で今後の話は出来なかったのか。

特に、エレンは、結婚してまだ1年目という設定。

 

話し合う余地は充分にあったと思われるのですが…。

自殺はあまりにも早計な行動…。

(娘曰く、「お母さん、お芝居の世界に常識を持ち込みすぎ」…ですって。)

 

まぁ、キムは、気が動転もしていたのかもしれません。

 

そのようなリアリストの私でも、このお芝居にはブラックユーモアもどきの突っ込みどころはは全くありませんでした。

 

むしろ、最後に、クリスが倒れているキムを抱いてキスをしたところで息を引き取るのですが、そのシーンでは涙が滲んできました。

 

さらに、ベトナム戦争と言う戦争が、結構近い過去に起こったことであったため、枯葉作戦やドクちゃん、ベトちゃん…、そしてあのピューリッツァー賞のあの有名な写真などが、リアルに自分の頭の中によぎりました。

 

安全への逃避

引用:ウイキペディアより

(写真そのものをズバリと載せたかったのですが、引用していいサイトかどうか判断がつかなかったので、オーソドックスにウイキペディアから引用させていただきました。)

 

 

ミス・サイゴン』はフィクションだけど、現実にはこれとほぼ同じ状況の女性が幾人もいたのではないでしょうか。

 

そして…今、リアルにウクライナでも戦争が起きています。

 

戦争は、勝っても負けても悲劇が伴う。

返す返すも、外交で解決しない事へのもどかしさを感じます。

 

 

ところで、今回主役、準主役、その他…キャストが、娘たち指定のラインナップの配役でした。

 

私は、お芝居の通でないのでわからないのですが、お芝居をよく見る人は、配役を見てチケットをゲットするのですね。

(という事は、我が家の娘たちはお芝居の通ということかな?)

 

今回、キムになった人は、昆夏美さん。

 

以前、『レ・ミゼラブル』を見た時、昆夏美さんの演じるエポニーヌの歌声に魅了されました。

(マリウスとコゼットとエポニーヌと3人で歌うシーンがあったのですが、エポニーヌの歌声が、抜群に響くのです。)

 

今度も、期待を裏切ることなく、やはりその歌声に魅せられました。

 

因みに、『ミス・サイゴン』と『レ・ミゼラブル』の俳優さんは相当かぶっているらしい…。

 

 

 

さて、今回は久しぶりに、座って観劇しました。

 

いつも、博多座では立ち見なのだけど、今回はコロナのため、立ち見席は設けられていませんでしたので。

 

席は一番後ろの一番端でしたが、通路と通路の間が4人分の席というという、もう、出入りがしやすい最高の席でした。

 

しかも、最後列だから、高いところで見張らしがいい。

 

以前、博多座のバックステージツアーに行った時に得た知識を最大限に活用しながら見ましたよ。

 

gracedusoleil252525.hatenablog.com

 

今、回転軸が回っているなとか、音声が右から左に流れた(移動をリアルに感じさせるため)とか、実に分かりかったです。

 

 

 

お芝居って、やっぱりいいなぁ。

 

 

それでは、最後に、博多座宣伝の動画を載せますね。

 


www.youtube.com

 

 

お芝居大好き。

アラフィフからの新しい楽しみとなりました。(笑)

 

 

 

今日も…日日是好日