泣いても笑っても日日是好日

人生は一期一会の連続。平凡な毎日でも、泣いても笑っても…

古都大宰府を歩く…令和はここから始まった。


f:id:gracedusoleil2525:20230216203153j:image

奈良時代は、梅は中国から伝わった大変高貴な花だったそうです。

引用:インスタグラムより

 

 

 

皆さん、運動はしていらっしゃいますか。

初夏は、新緑が目に眩しく、爽やかな風が吹く季節。

家にいてばかりではもったいないですよね。(笑)

 

 

と、言いながら、冬の話になります。(笑)

 

 

わたしは、健康のためにできるだけ毎日散歩しています。

ただ、家の回りの散歩というと、コースが決まってくるのですよね。

 

最近は健康志向で、おすすめ散歩コースを紹介している市町村が多い。

 

と、いうことで、ちょっと遠くにいって、初めてのコースでウォーキングしました。

このコースは、古都大宰府を歩きます。

 

おすすめのコースの一つに大宰府政庁跡から、観世音寺を通って大宰府天満宮まで歩く、約2kmのコースが紹介されていました。

 

往復すると、1時間か…

 

ちょうどいいコースです。

 

 

 

幸い休みの日で、アッシー君の(表現が古すぎるか…笑)夫が一緒だったので、太宰府までは、車で行きました。

 

 

そして、大宰府政庁跡の近くの駐車場に車を止めて、スタート。

 

コース通りに歩こうとすると、こんな看板が。

 


f:id:gracedusoleil2525:20230204153008j:image

 

これは…これは…

 

すぐ、近くに令和ゆかりの坂本八幡神社があるんだ…。

 

ということで、坂本八幡神社に寄り道をすることにしました。

 

元号が平成から令和に代わって、はや4年目です。

時が経つのは、早いものですね。

 

令和という元号の由来は日本最古の歌集『万葉集』に載っている、「梅花の歌三十二首 序文」から採られました。

「梅花の歌三十二首」とは、神亀4(727)年頃に、大宰府の長官である大宰帥(だざいのそち)として赴任してきた大伴旅人(665~731)が、自宅に大宰府や九州の役人を招待して、梅花の宴を催したときの歌です。

 

そして、坂本八幡神社は、大伴旅人の邸宅の候補地なのです。

大伴旅人の邸宅の候補は他にもいくつかあります。)

 

 

〈そうそう、この近くには梅大路という、雅な名前のバス停があるんですよ!〉

 

 

 

では、『万葉集』から、令和がある文章を抜き出してみましょう。

 

 

 

 

于時、初春月、気淑風。梅披鏡前之粉、蘭薫珮後之香。

 

書き下し文にすると、

 

時に、初春の月、気淑しく風ぐ。梅は鏡前の粉に披き、蘭は珮後の香に薫る。

 

 

ときに、しょしゅんのれいげつ、きうるわしくかぜそよぐ。うめはきょうぜんのこにひらき、らんははいごのかおりにかおる。

 

意味

 

あたかも初春のよき月、気はうららかにして、風は穏やかだ。梅は鏡台の前のおしろいのような色に花が開き、蘭草は腰につける匂い袋の香のように、良い香りが薫っている。

 

(古都大宰府保存協会のパンフレットを参考に、少しアレンジを加えました。)

 

 


f:id:gracedusoleil2525:20230206175818j:image

博多人形による「梅花の宴」

太宰府展示館の展示品より

 

 

待ちに待った美しい梅の花が咲いたことへの喜び、感謝の気持ちが表れている…そんな風に感じませんか?

 

桜の木の下で、ドンチャンと歌い騒ぐ、現代のお花見の原型を見ているようです。

 

 

 

 

では、お話を現代に戻しましょう。

 

 

 

本八幡神社へは、梅の木の並木道をまっすぐに歩きます。

 

 

 

梅の並木道は、奈良時代の雰囲気を醸し出していました、と書きたいのですが…。

哀しいかな、この時はまだ、花が咲いていない。(笑)

 

f:id:gracedusoleil2525:20230204164638j:image

 

 

さぁ、坂本八幡神社につきました。

 

f:id:gracedusoleil2525:20230204214229j:image

入口


f:id:gracedusoleil2525:20230204214524j:image

拝殿

 

 

あらっ。

小さい。

我が家の近所の神社より小さい。

しかも、無人の神社。

令和になった時、ここに何千人も並んだとは信じられません。

 

でも、こざっぱりときれいに清掃されていて、まわりの原っぱからは、爽やかな風が吹いていて、とても居心地のいい神社です。

 

ところで、坂本八幡神社創建の由来は明らかではありません。

 

平安時代には、ここに善正寺という天台宗のお寺があったそうです。

この、善正寺は、九州の豪族である少弐氏が滅亡してから、廃れていったとのことです。

 

 

さて、入り口の近くに3つの石碑がありました。

 

一つは、令和の碑。

 

もう一つの碑は、梅花の宴に主賓として招かれた、大弐紀卿(誰に相当するか不明)の歌。

 

最後の一つは、やはり万葉集からとられた大伴旅人の歌。

 


f:id:gracedusoleil2525:20230204214741j:image

わが岡に  さ男鹿来鳴く  初萩の

花嬬問ひに   来鳴くさ男鹿

 

わがをかに   さをしかきなく  はつはぎの

はなづまとひに  きなくさをしか

 

私の家の近くの岡に牡鹿が来て、鳴いている。萩の花に妻になってほしいと、鳴いているよ。

 

花嬬(はなづま)とは、鹿が、いつも萩に寄り添うことから、鹿の奥さんにみたてて、 萩の花を花嬬(はなづま)と呼んだとのことです。

 

奈良の平城京から大宰府に赴任してきた大伴旅人にとって、大宰府は家の近くで鹿を見かけるくらいの、雲泥の差で寂しい所だったのかもしれませんね。

 

因みに、『万葉集』は大伴旅人の子どもである大伴家持(718?~785)によって編纂されました。

 

 

 

このあと、奈良時代の役所跡の大宰府政庁跡に行きました。

 

そのレポートについては次回に書きますね。

今回は既に2000字を超えてしまったので。

 

最後に、アクセスを。


goo.gl

 

コミュニティバスまほろば号で、大宰府政庁跡下車 徒歩約5分

まほろば号は、西鉄都府楼前駅太宰府駅からも乗れます。)

西鉄都府楼前駅下車 徒歩約15分

福岡空港博多駅からの直行便は、太宰府ライナーバス「旅人(たびと)」

 

 

 

 

今日も…日日是好日

 

 

p.s.

 

もう、遠い昔のように感じますが(笑)、皆さんは、ゴールデンウィークはいかがお過ごしになりましたでしょうか。

 

わたしは、ちょうど庭の梅の実が大きくなったので、梅の実をとりました。

 

おかげさまで、今年は豊作でした。

近所におすそ分けをして、残った分を梅酒にしました。

 

梅酒は、1年たてば美味しく飲めると言いますが、個人的には、少なくとも2年は置いたままにしておく方が、美味しいようです。

もっと置けば、より美味しいのでしょうが、待ちきれません(笑)

 

この梅は2年後の楽しみです。(笑)


f:id:gracedusoleil2525:20230508202757j:image