前回は2泊3日の長崎旅行の、2日目のお昼休憩まで、ご紹介しました。
gracedusoleil252525.hatenablog.com
今回はその後編です。
長崎の街を歩くと、よくあるさりげない碑。
「ボウリング日本発祥地」ですって。
長崎は、よく考えれば古く1571年(織田信長の時代)から開港していた国際都市だから、このような‥○○発祥‥が多いのでしょうね。
あら、ここにも。
「南山手居留地跡」
「長崎電信創業の地」
「国際電信発祥の地」
長崎を経由して、色々なものが日本に伝わったことが分かります。
さて、次に行ったところは、やはり異国の雰囲気溢れる孔子廟。
今度は、東洋を感じる異国情緒ですね!!
観覧券に旅行クーポン券が使えたので、ここで初めて旅行支援の地域クーポンを使いました。
私にとって「旅行支援クーポンを初めて使用した地」(笑)
儀門
本廟の正面玄関。
ここをくぐって本廟へ。
明治26(1893)年に、清朝政府と在日華僑が協力して建てたそうです。
やはり、原爆で被爆し、今見られる建物は再建されたものです。
江戸時代に、幕府は、長崎ではオランダと中国と貿易していたことから、長崎に華僑も多いのでしょうね。
黄色と赤を使った華やかな色合いで、いかにも中国っぽい建物。
廟と言う言葉から、しっとりした雰囲気を連想するかもしれませんが、どうしてどうして、色合いの関係かもしれませんが、暗い雰囲気は全くなかったです。
この写真には写っていませんが、左右の端に顔回、子路など孔子の弟子である72賢人の像がずらりと並んでいました。
奥に進むと、「長崎孔子廟歴代博物館」があります。
孔子廟に関する資料や、中国国内の文物を展示しています。
次に訪れたのは、オランダ坂。
長崎は、どこでも坂がいっぱいなので、オランダ坂と言われても、何がどう違うか説明板を読まないと見ただけでは分かりません。(笑)
説明板を読むと…
外国人居留地時代のに作られた石畳の階段や坂道のことを指すそうです。
長崎の人は、明治時代になっても、東洋人以外の外国人を「オランダさん」と呼んで、その人たちがよく歩いたこの坂をオランダ坂と呼んだそうですよ。
ところで、長崎は自転車に乗る人はいなくて、皆バイクに乗ると聞いたことがありますが、今はどうなのでしょう?
昨今は電動自転車なるものもありますし…。
さて、オランダ坂からちょっと歩くと、中華街に出ます。
私のお薦めは、「江山楼」と言うお店のちゃんぽんです。
「江山楼」のお店の前には、長蛇の列。
そうよね、私がおいしいと思うものは、みんなもおいしい。(笑)
で、私と娘が買いたかったものは月餅。
月餅って、お饅頭の中に餡や木の実、松の実が入ってすごくおいしい。
それから、クルミのお菓子。
これまた、昔香港で食べてすごくおいしいと思ったのだけど…。
月餅はすぐ見つかりましたが、クルミのお菓子は見つけることが出来ませんでした。
だから、月餅だけ買いました。
この日は、まだまだ頑張ります!!
この後は長崎駅に戻って、ホテル行きのバスに乗り込みました。
この日の観光はこれで終わりのつもりでしたが…。
ホテルのすぐ近くに、風頭公園と言う公園があります。
坂本龍馬の銅像があって(亀山社中も近くにあります。)、以前行ったときは桜がとても綺麗に咲いていました。
風頭公園の西側が海なので、ここから夕日を見ようと、ホテルから歩いて見に行きました。
山の上から坂道をぐっと降りて、風頭公園に行きます。
どうにか、夕日に間に合った!!
しばらく、山に沈みゆく夕日を眺めていました。
もっと降りていくと、先ほどお話した坂本龍馬の像があるのですが、もうそこに行くようなパワーは残っていませんでした!!
本当に、最後の力を振り絞るという感じで、ここから、急な坂をホテルまで歩いて登っていったのでした。
(もう、この日は3万歩弱ですよ。よく頑張ったなぁ。)
さて、ホテルから見た、幻想的な暮れ行く長崎の景色です。
長崎の夜景は特に美しい。
確かに長崎の夜景は美しいけど…
いくらなんでも、本当かな?
基準がよく分かりません。(笑)
ホテルから見た夜景。
うまく、写せなくてすみません。
雰囲気を味わってください。
3日目
さて、長崎旅行も最終日。
前々日、前日と歩き回ったので、相当疲れております。
で、この日は、路面電車に乗って出掛けることに。
長崎に来て、ここは外せないでしょう…という場所は、平和公園です。
土壇場で、近くに原爆投下地があるということが分かり、そこを見学してから平和公園、浦上天主堂に行くことにしました。
これらの場所についてはもっと詳しくお話したいので、夏に改めて詳しい記事を投稿したいと思います。
ということで、今回はさらっと進めます。
原爆落下中心地
先ほどお話しましたように、平和公園の横にあります。
初めて来ました。
この近くには、原爆で壊された家の瓦や煉瓦、高熱で溶けたガラスなどが今も大量に埋まっているそうです。
それでは、平和公園に入ります。
平和の泉
………
のどが渇いてたまりませんでした
水にはあぶらのようなものが
一面に浮いていました
どうしても水が欲しくて
とうとうあぶらの浮いたまま飲みました
ーあの日のある少女の手記から
外国人の観光客が、たくさんいました。
浮かれた感じのポーズをとっている人が多かったです。
まるで、ただの観光地のようです。
一方、日本人と思しき人は、ほとんどの人が手を合わせていました。
娘が一言
「戦勝国と負けた国では、受け止め方が違うということだよ。」
ところで、先ほどの平和祈念像の雲は、この写真の雲とつながっているのですが、意味深な雲と思いませんか。
写真は二つだけですが、まだまだ長く長くつながっていました。
スピリチュアルに詳しい方だったら、何か意味を発見できるかもしれません。
とても暑かったので、長崎名物のチリンチリンアイスを食べました。
素朴なアイスで、バラの花びらのような形が美しいですね。
この後、浦上天主堂を訪れました。
非常に大きい教会です。
浦上天主堂は明治28(1895)年から、信徒たちの献金と、労働奉仕活動を経て、大正3(1914)に献堂式をあげたそうです。
やはり被爆して、昭和34(1959)年に再建されました。
私達が訪れた時は、結婚式の真っ最中でした。
見学ができたので、幸せのおすそ分けをいただきました。
花嫁さん、花婿さん、どうぞ末永くお幸せに。
浦上天主堂では、原爆で吹き飛ばされた天主堂の鐘楼の一部も保存されています。
この後、お昼ご飯を食べて崇福寺へ。
崇福寺は黄檗宗のお寺で、寛永6(1629)年に長崎に住んでいた華僑たちによって建てられました。
崇福寺の建物は、明末~清の初期(17世紀)にかけての、南支建築様式というスタイルだそうです。
とにかく、建っている建物のほとんどが、何らかの史跡指定を受けているという凄いお寺です。
三門(重要文化財)
竜宮門と言われているそうです。
全体が、赤い。
中国のお寺のイメージそのものです。
ここをくぐって、竜宮城に行ったら、チャイナ服の乙姫さんに「ニーハオ!!」
と言われそう。(笑)
第一峰門(国宝)
別名唐門、赤門、海天門。
寧波(中国浙江省)で、材料を切り組んで、唐船で持ってきたそうです。
大雄宝殿(国宝)
いわゆる本堂。
御本尊は釈迦如来。
媽祖堂(県指定史跡)
唐船主たちが、海の安全を祈願して、海の神様媽祖(まそ)を祀りました。
他に三国志の関羽を祭った堂もあって、中国の雰囲気満載のお寺でした。
全般的に赤基調で、床は土間。
昔、上海にいったことがあるけど、その時に見た中国のお寺そのものの雰囲気でした。
この後は、眼鏡橋に行きます。
ほ~んと、眼鏡みたい。
寛永11(1634)年ごろ、興福寺のお坊さんによって作られたとされています。
現在に残る最古のアーチ形石橋の一つだそうです。
さて、このあと、中町教会にいきます。
1日目と同じところに、またどうして?
実は、古楽器のコンサートを聴くことにしたのです。
最初に中町教会に行った時、古楽器のチラシをとってきました。
「長崎まで来て、しかも予定を変更してまでコンサートを聴くの?」
と、家族で結構意見が分かれましたが…。
(だって、コンサートなら、福岡でも聴けそうですから。)
結局、観光組が折れて、ここでコンサートを聴くことになりました。
コンサートでは、ヴィヴァルディとアルビノーニという、イタリアの作曲家のバロック音楽が演奏されました。
まぁ、中町教会についた時は疲れはてていたので、結果として、ちょうど良かったといえばちょうど良かったけど…。(苦笑)
因みに、La Musica Collana(ラ ムジカ コッラーナ)というこの楽団、中町教会の前に、アクロス福岡でコンサートしてきたそうです!!(苦笑)
この後は、長崎駅でおうどんを食べてお土産を買って、高速バスに乗りした。
楽しかったけど、歩き回ってすごく疲れました。
やっぱり、この歳になったら、ガンバルマンにしないで適度な休憩も必要ですね、
滅多に行かないからと、つい欲張ってしまうけど…。
それから、少なくとも一週間は早寝熟睡したこと、言うまでもありません。
今日も…日日是好日。