泣いても笑っても日日是好日

人生は一期一会の連続。平凡な毎日でも、泣いても笑っても…

あれあれ、こんなところにこんなものが…娘と夫と日拝塚古墳

日拝塚古墳   

(ひはいづかこふん…福岡県春日市下白水南)

 

 

皆さん、こんにちは。

めっきり寒くなってきましたね。

暗くなるのも早いし、本格的に冬が来たのだと実感しております。

 

今日は、ある日偶然訪れた古墳の話を、その日の出来事と一緒にお話したいと思います。

 

私の長女は昨年就職しまして、ジョブローテンションの真っ最中です。

そして今、ある郊外のお店へ派遣されています。

 

そこは、家から1時間以上かかるところです。

 

ある日、夕食を食べていると、娘が、

「Tちゃんの家ではね、休日出勤のとき、仕事が終わる時間にお父さんが車で迎えにきてくれるとよ~。」

と言います。

Tちゃんと言うのは、娘と入れ替わりに、そのお店に派遣されていた同期です。

 

夫は、

「ふ~ん。社会人なのにお迎え?過保護やねぇ。」

と言っておりました。

 

そういえば、わたしが、昔就職していたときに、やはり日曜出勤のとき、父に朝早く、職場まで送ってもらった話をしたときも、

「あんたの家、過保護やねぇ。」

と言ったのを思い出しました…。(苦笑)

 

しかし、娘もさるもの。

「どこの家でも、それくらいしとるよ!」

(しているかどうか、知りません。)

 

その時は夫が、

「よそはよそ、うちはうちたい。」

といって話は終わりになりましたが…。

 

次の日曜出勤のとき、夫が娘に

「今日はお休みやけん(夫の会社)、迎えにいってあげよう。」

ですって。

心のなかで、どこの家でも…という言葉が残っていたのでしょうか…(笑)

 

 

 

 

というわけで、その日から今に至るまで、休日出勤のときは必ずお迎えにいっております。(苦笑)

 

娘の一言、恐るべし。

 

ただ、夫は一人では行きたくないらしく、わたしも毎回お付き合いをさせられます。

それが、すこし面倒だといえば、面倒…。

娘と夫1対1だと照れ臭いのかな。(笑)

 

 

ところで、最初にお迎えにいったとき、早めに着きすぎて、すこし辺りを車で回ってみようということになりました。

 

その時、偶然見つけたのが日拝塚古墳です。

 

 

写真もとってきましたので、ちょっと紹介したいと思います。

 

日拝塚古墳は、6世紀につくられた前方後円墳です。

全長は周溝を含めて約61m。

高さは5.5m。

 

きっと、このあたりを治めていた首長のお墓なのでしょうね。

 

日拝塚古墳の名前の由来は、前方後円墳の主軸がほぼ東西に向いていて、お彼岸に16㎞離れた大根地山からのぼる太陽を拝むことができたことから、つけられた名前だそうです。

 

 

 

 

閑静な住宅地から突然現れた、前方後円墳をみつけてびっくり。

 

 

なだらかで、美しくさえ思われます。

古墳を登ると、崩れてしまうとのことで、近くから眺めるだけです。

 

誰もいなくてし~んと静まり返って、風の音だけがそよそよと響きます。

 

先ほども書きましたが、この古墳は主軸がほぼ東西を向いているとのこと。

東側が、前方後円墳の円の部分になります。

この写真では、北側から見ているので左側が東の方向です。

 

 

反対側(南側)に回ってみました。

今度は右側が、東になります。

 

石室の入口が見えますね。

そして、溝(周溝)の跡も分かります。

 

 

 

石室は、中に入れないようになっていました。

 

因みに、石室は横穴式石室で、亡くなった人を安置する玄室は、

奥行き3.6m。

幅2.6m。

高さ4m。

 

 

昭和4(1929)年に石室内から、銅鏡、耳飾り、ガラス玉などの装身具、鉄刀、鉄矛などの武器、馬具、須恵器などが出土したのですって。

 

そのほとんどが、東京国立博物館に保管されているそうです。

 

 

南側から、西側方面を見たところ。

 

 

 

 

この古墳について、もうちょっと、補足しますね。

 

 

日拝塚古墳のある春日市は、奴国の中心地ともいわれているところで、奴国王墓とされる須玖岡本遺跡も近くにあります。

須玖岡本遺跡 - Wikipedia

 

そして、東西の主軸の東(円の部分。石室がある部分)の先にあるという大根地山(高さ652m)は、古代から信仰されていた霊山。

この山は、宝満山英彦山の山伏たちが峯回りをする時登った、修行の場でもあったそうです。

 

また、大根地山の頂上付近には大根地神社があります。

 

創建の由来は、社伝によると神功皇后が九州で敵対する豪族羽白熊鷲を征伐する際に勝利祈願をしたことにはじまる、とのことです。(現在は稲荷神社)

 

 

この他、春日市の隣那珂川市には、神功皇后がつくったという用水路の裂田溝(さくたのうなで)や、日本三大住吉の一つである博多の住吉神社の、元宮とされる現人神社(あらひとじんじゃ…これまた、神功皇后の時代につくられたとの由緒がある)もあります。

(神功皇后ゆかりの場所のなんと多いことか…)

 

更に、大根地山と、この日拝塚古墳を直線で結んだちょうど真ん中あたりに、太宰府があります。

 

書くだけではよく分からないので、地図をつけますね。

 

 

左  福岡県の地図  

右 日拝塚古墳のある春日市周辺の市町村拡大図

(拡大しても見づらい…泣)

引用:Map-It マップイット | 地図素材サイトより  

 

  ↓  グーグルマップの地図でさらに拡大

スマホでみると、とても見づらいですね。

なので、右端(②)以外の番号を振っている左側(①③④)を、更に拡大します。

少しは見やすくなりましたでしょうか。

 

因みに、番号を振った地点は、以下の通りです。

 

① 日拝塚古墳(春日市

② 大根地山(飯塚市

③ 現人神社(那珂川市)

➃ 須玖岡本遺跡(春日市

 

直線距離で

日拝塚古墳⇔大根地神社  約16km(①②)

日拝塚古墳⇔現人神社 約2km(①③)

日拝塚古墳⇔須玖岡本遺跡  約2km(①④)

現人神社⇔裂田溝   神社から南に2km

 

 

近くには、奴国の丘歴史資料館(春日市)もあります。

施設案内 春日市奴国の丘歴史資料館|春日市

 

 

このように、このあたりは、ロマン溢れる古代の息吹きが感じられるところです。

遺跡がかたまっているので、車でさくさくっと廻れば、1日で古代史ツアーができますね。

 

 

 

さて、古代の土地の有力者を賑やかに埋葬したであろう日拝塚古墳も、今は閑静そのもの。

帰るときに、ここでのんびりと犬の散歩をしている人を何人か見かけました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

では、話を戻して…。

 

 

日拝塚古墳をしばし見てから、時間が来たので娘の職場へ。

お店にはいると、挨拶をしなければいけないので、娘も上司のかたも気を使うだろうと思い、駐車場で娘を待っていました。

 

それからは、なんとなく疲れて、食事を作りたくなかったので、帰り道に外食。

久しぶりの外食は美味しくて、上機嫌の夫と娘の話しもはずみました。

 

 

 

 

 

ところで、遺跡のあった春日市は福岡市へも近く、どんどん人口が増えているんですよ。

那珂川市も、昨年那珂川町から、那珂川市になったばかりです。

お食事どころもいっぱい。

 

古代も、現在も住みやすいところは同じなのかもしれません。

 

 

 

 

 

 

 

 

今日も…日日是好日

 

 

 

p.s.

 

日拝塚古墳のくだりで、何がどこにあるのか、分かりにくいだろうなぁと思って、地図をのせましたが…

 

市町村の分布図は、拡大してもどこにどの市町村があるのか見づらい。

 

また、グーグルマップの機能で、日拝塚古墳からの距離を数ヶ所測ろう、と思ってつまづいた。

(始点と終点がごちゃごちゃになった。)

 

ならば、今度は手動で地図に矢印をつけようと思ったが、大根地山を入れたら裂田溝が入らなくなった。

 

しかも、福岡県の市町村と、その拡大図の左右の画像の大きさを揃えるのに、てこずった…。

(縦横の割合を揃えただけではダメで、サイズを揃える必要があることを知らなかった。)

 

やっと出来上がったら出来上がったで、グーグルマップにいれた数字が、実に見にくい。

仕方がないから、数字を見やすくしようと思って、さらに予定外の地図を増やした…。

 

 

 

と、いうことで、まだまだ、地図の作成に改善の余地がありますが、もう、あれこれ試して疲れはててしまいました…(苦笑)

 

次はもっと分かりやすいシンプルな地図をつくるべく頑張りますので、今回はどうぞご了承くださいませ。