泣いても笑っても日日是好日

人生は一期一会の連続。平凡な毎日でも、泣いても笑っても…

友を思う父の気持ちが詰まった住所録

今週のお題「お父さん」

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私の父は昭和一桁生まれで、高度経済成長期に現役で頑張ってきた人で、まず仕事、家庭はその次という人です。

そして脱サラの後、小さな会社を経営し、80歳位までは仕事をしていました。

 

会社をリタイアしてからは、家でテレビを見たり、本を読んだり、庭仕事をしたり、囲碁を打ったり、悠々自適の生活。

 

母亡き後は、少し気力の衰えも感じられましたが、落ち着いてからは元の静かな生活に戻っていきました。

 

父自身は納得のいく人生と思っているのではないでしょうか。

 

 

 

 

私の小さい頃は父が厳しかったので、あまり甘えた記憶はありません。

 

 

しかし、母が亡くなってから必然的に父との会話が増え、父の事をよく知るようになりました。

 

そして、父に対して徐々に敬意を持つようになりました。

 

 

その1つを紹介したいと思います。

 

 

父が脳出血で倒れる数年前のことです。

父は手が震えて字が書きづらいので、私に年賀状の宛名書きを頼んだ事がありました。

(今から思うと、脳出血の前兆ですね。)

 

で、まず私が宛名書きをして、その宛名を見ながら、印刷している本文に父が手書きで一筆認める、その様にして年賀状を作成。

 

宛名書きをするにあたって、住所録を渡されました。

(仕事上の付き合いでなくプライベートな住所録です。)

 

その住所録を見ると、住所、電話番号、趣味、一緒に過ごした思い出、ほか諸々気づいた事がびっしり。

普通の住所録と言う様なものでなく、バインダーで1人に付き1ページを割り当てた、交遊録みたいなものでした。

 

そう言えばいつの頃からか、お中元、お歳暮の手配はいつも父から住所と名前と、品物を書いたリストを渡され、私が手配していたのですが、それがこの住所録に基づくものだったのだ、とこの時はじめて知りました。

 

その人が喜びそうなものを、この住所録から考えていたのだと思うと、感慨深いものがあります。

 

また、父は頂き物をした時はその場か、その日のうちに必ずお礼を言って、言えない場合は、お礼状を書いていました。

 

相手を大切にする姿勢とは何ぞや、という事を改めて教えて貰いました。

 

 

 

 

 

ところで、今私の父は、介護施設で大部分は寝たきりの生活を送っています。

 

リハビリが、結構しんどくて、休みたい事もあるらしいのだけれど、頑張っているとの事。

 

私が、

「休みたい時は休めばいいじゃないの。」

と言うと、

「死ぬ時までは、何でもいいから何かを頑張る、と言うのが自分のポリシーだ。」

と言います。

 

この様な事もあり、昔はちょっと敬遠した父を今は尊敬しています。

 

 

 因みに現在、住所録は介護施設にあり、父の宝物となっています。

 

しかし、父の仲良しは皆高齢となり、住所録も亡くなった印である×印が多くなってきました。

 

どうか、お父さん長生きをしてください。

そして、私達兄妹を、ここまで育ててくれて、ありがとう。

 

 

 

 

 

 

父の思い出については、

 

gracedusoleil252525.hatenablog.com

 

 

にも、以前別の視点から書きました。

 

 

今日も…日日是好日

 

 

p.s.

おまけの写真

 

日曜日に部分日食がありました。

その、時々の写真です。

一番下の真ん中が、一番欠けた時(17時9分頃)の写真です。

 

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