以前、パソコンのスクリーンセーバーの金魚の話を書いたので、今日は本物の金魚の話をしたいと思います。
(パソコンセーバーの話は↓参照)
gracedusoleil252525.hatenablog.com
我が家と金魚は、古くからの付き合いです。
子ども達が幼稚園の時、私たちは佐賀に住んでいました。
佐賀の神野公園というところは桜がとてもきれいで、よく散歩に行っていました。
お花見の季節は出店も並び、その一つに金魚すくいがありました。
子ども達が金魚すくいがしたいと駄々をこねたので、
しょうがないなぁ、
という事でと金魚すくいをさせてみると丈夫な糸だったのか、
結局3匹家に持って帰ることになりました。
まさか、本当にこんな小さい子が三匹も釣るとは思わなかった…
本格的に、金魚を飼うことを想定していなかったので、バケツで、しかもパン粉をあげながら育てることにしました。
荒っぽい育て方ですね。
けれど、順調に育ちましたよ。
それから、1年たって福岡に転勤になりました。
引っ越し屋さんが、金魚は持っていけないというのでバケツに入れたまま、マイカーに乗せて、福岡まで連れてきました。
それから、その金魚がいつ死んでしまったか覚えていません…。
小学校に入ったら、子ども達は校区の夏祭りがあるたびに金魚をつって持って帰ってきました。
金魚すくいの金魚は、長生きしなかったので。
子どもとは現金なもので、釣ってきたのはいいけれど、実際の世話は父がしていました。
それから、子ども達は中学生になって…
いつしか金魚は飼わなくなりました。
それが7年位前、父が突然金魚を飼いたいと言い出しました。
父は昔の事をを思い出したのでしょうか。
それで私と夫で、「黒ちゃん」と呼んだ、我が家で最後の金魚になる出目金ほか数匹を買ってきました。
黒ちゃんは、父が介護施設に入った後は夫が世話をしました。
途中、夫が『ドン・キホーテ』を読んでから、呼びかける名前がいつの頃からか「黒ちゃん」から、「ロシナンテ」にかわっていました。
ロシナンテは、年を取ると共に色も剥げてきて、金魚の高齢者になりました。
そして先日、ロシナンテが死んでしまいました。
今は、家の庭の片隅に、埋められています。
しばらくは、生き物は飼わないでしょう。
情もうつるし…死んだ時がたまらない(涙、涙)
これで、我が家と金魚の長い付き合いも終わりました。
子どもが小さいころから続いていた習慣が終わった…
大げさですが、一つの時代が終わった、そんな感じさえします。
ロシナンテ、今までありがとう。
これからも、私たち家族を見守って下さいね。
今日も…日日是好日。
p.s.1
今、下書きの整理をしています。
今回の記事は、p.s.以外はは、ほぼ1年前に書いた記事です。
ちょっとタイムログがありますが、やっぱり投稿しようかなと…。
気のせいか文体も、今と違うような…。(笑)
ロシナンテは、我が家にとっての激動の7年間を見てきました。
(母の死、父の脳出血、子どもたちの受験、就活などなど。)
特に、晩年のロシナンテは、年老いた父とオーバーラップしました。
この記事を書いた時、一つの時代が終わった気がしたのですが、今では娘たちは、
かたや社会人。
かたや、県外で大学生。
日々一緒に暮らしていた家族の在り方がさらにさらに変わって、しみじみとうつろいゆく世の中を感じております。
p.s.2
そうそう、先日夫がポメラニアンの夢を見たという事で、犬を飼いたい飼いたいと
せがまれています。
今でも、毎日が手一杯なのですが…。
ふぅ~~~~。
引用:ウイキペディアより