泣いても笑っても日日是好日

人生は一期一会の連続。平凡な毎日でも、泣いても笑っても…

沖縄旅行 その1  雨の中の慰霊の旅

5月末に沖縄に行ってきました。

 

 

なんと、17年ぶりの沖縄。

そして、4人家族そろっての旅行も2年ぶりでした。

 

実は、この旅行の計画は4か月前からたてていました。

ピーチ航空のセールが、1月にあったからです。

そして、その料金は…驚くなかれ。

何と、福岡・沖縄間が一人片道4000円程度(手数料も含めて)でした。

帰りは、遅い時間にしたので、7000円(手数料含めて)くらいかかりましたけれど…。

 

因みに、小倉~博多間の新幹線の料金が指定席で3460円です。

福岡県内から福岡県内ですよ…。

このことを考えると、ビックリするような安さですね。

とても楽しみに待っていましたが、梅雨の時期という事が、ちょっと不安でした。

 

 

で、やはり不安的中。

梅雨に入ったばかりで、最終日以外は雨に降られました。

 

それでも楽しかった沖縄旅行。

今回から3回にわたって、沖縄旅行のお話をしたいと思います。

 

 

 

今日の記事はは、1日目です。

 

いつも通り、福岡空港から飛行機に乗ります。

 

飛行機に乗るまで、余裕があったので、ラウンジで飛行機を眺めながらコーヒーを飲みました。

 

昨年の東京旅行の時の反省から、家で朝ごはんを食べてから、コーヒーを飲んだので、飛行機では全く酔いませんでした。

 

ピーチ航空は、スマホでフライトレーダーが見られるのですね。

今、どこを飛んでいるかチェックするのが楽しかったです。

 

 

 

ワクワクしながら沖縄に着くと…

 

 

 

梅雨の沖縄は土砂降りでした。

あらぁ~。

 


沖縄空港の出口
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「めんそ~れ」とは「ようこそ」という意味。

 

 

 

覚悟していたとはいえ、やはりがっかり。

 

しかし、これから旅の本番なので、気を取り直しました。

 

1日目の予定は、太平洋戦争の戦跡巡り。

糸満市にある、ひめゆりの塔摩文仁の丘がある平和祈念公園を訪ねます。

 

糸満市の地図

引用:グーグルマップより

拡大すると、糸満市の南の方に、ひめゆりの塔平和祈念公園の表示が出てきます。(琉球ガラス村も)



 

沖縄は、国内で唯一地上戦があったところです。

 

1945年の4月に米軍が上陸したあと、米軍は南に進撃し、5月に日本軍は司令部のあった首里(那覇市)から、本当の最南部の摩文仁(糸満市)に撤退しました。

 

そのため、兵隊も逃げてきた住民もともに過ごすようになり、沖縄最後の激戦地となりました。

 

 

 

 

さて、公共機関でこれらの戦跡に行くには、1時間に1本のバスに乗らなければいけません。

あまりにも交通の便が悪いので、1日目は半日だけレンタカーを借りることにしました。

 

最初の目的地はひめゆりの塔ですが、ひめゆりの塔の近くに、琉球ガラス村というところがあります。

 

せっかくだからということで、ここに寄っていきました。

 

お昼ご飯もここで食べてました。

 

 

 

お土産屋さんの建物の中のステンドグラス。

色とりどりのガラスが、とても綺麗です。

 

ガラス工房で、ガラスを作っているところを見学することが出来ます。

溶鉱炉に入れて、溶けだしたガラスの形を整えていくところなどを見ることが出来ました。

 

琉球ガラス村を見学した時は、まだまだ土砂降りの雨で、傘をたたんで建物の中に入るとホッとする…そんなひどい雨でした。

 

そして、お土産屋さんで、長女が一目ぼれして購入したガラスのコップ。

青い色や、波のようなガラスの凸凹が沖縄の青い海を連想させてます。


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因みに、家に帰ってラベルをよく見ると「made  in   vietnam」と書いている。

沖縄で作ったものでないことが分かったら、がっかりするかもしれないので、ラベルを剥がして娘には黙っていることにしました…。(苦笑)

(この記事を投稿した後で、ちまりんさん(id:chimaring)からベトナムハノイベトナム琉球文化工芸村という、琉球ガラスの工房があり、職人さんが技術指導に行っていることを教えていただきました。琉球ガラス、世界を行く!!だったのですね。だから、まさしく娘が買ったコップは「made  in   vietnam」でも琉球ガラスそのもの。素敵なコップにがっかり、なんて言ってごめんなさい。)

 

 

 

 

 

琉球ガラス村を出る時、やっと雨が小やみになりました。

この、小やみの雨の中を、本来の目的地ひめゆりの塔へ。

 

 

 

 

私自身は、ひめゆり平和祈念資料館は、何度か行った事があるのですが、子ども達が行ったのは小学生の時。

 

「大人になったので、改めて訪れてみたい。」と言われ、訪問することにしました。

 

 

ひめゆり学徒隊とは、沖縄県立第一高等女学校、沖縄師範学校女子部の学生さんで構成された看護要員で、糸満市で活動しました。

 

雨の中だったからか、以前より暗い雰囲気の中で展示を見ました。

以前訪れた時は、ムシムシする晴れた夏の日でした。

 

 

 

 

 

ひめゆりの塔」と言われる言われる慰霊碑。

 

この名称はひめゆり学徒隊にちなんでつけられているとのことです。

 

この近くに、献花台に備えるお花を売っていたので、一束購入して献花しました。

 

ここで私が撮った写真は、これだけです。

 

 

 

 

ここに、ひめゆり平和祈念資料館が隣接しています。

ひめゆり平和祈念資料館では、ひめゆり学徒隊の生存者の手記や、従軍の様子などを展示したパネル等々の資料があります。

 

具体的には、ひめゆり学徒隊の出身校である女学校の歴史、戦時中の生活、アメリカ軍の沖縄上陸後のひめゆり学徒隊の戦争負傷者への看護、そして、解散、自決、アメリカ軍からの逃避行、そのようなことが分かる資料が展示されていました。

 

 

前回行ったときもそうでしたが、私が一番時間をとったのは、最後のコーナーの、戦争で亡くなったひめゆり隊員の遺影が展示されている部屋でした。

 

この部屋では、生き残ったひめゆり隊員たちの体験談が、読めるようになっているのです。

 

衛生環境が最悪で、うじ虫が湧く負傷兵のウジ虫を必死でとったこと、解散の後、友達を背負って逃げたけど、途中でもういいからと言われ、友達を置いて逃げた話、いつも優しかった兵隊さんが急に怖い顔になって、自分たちを防空壕から追い出して、その後自決した話…、具体的なエピソードを紹介しようかと思いましたが…

 

今思い出しても、あまりに悲惨すぎて胸が痛くなるような話ばかりで、パソコンに打つ手が止まってしまいます。

 

 

2年前、長崎でも、原爆の跡地を見学しました。

 

原爆も地獄。

地上戦も地獄。

 

長崎の原爆の話も言葉を失いましたが、もしかすると自分の感情の中の衝撃は沖縄の方が強いかもしれません。

 

なぜなら手記を読むと、アメリカ兵の上陸により、じわじわと高まる恐怖、追い詰められる精神が、時間的長さとしてリアルに想像されるからです。

 

また、ひめゆり学徒隊の女生徒たちが、自分の子供たちとさほど年齢が違わないこともあるのだと思います。

 

アバウトな説明ですね。

 

具体的な話を書いているウイキペディアのリンクも貼りますので、参考にして下さいね。

ひめゆりの塔 - Wikipedia

 

 

 


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雨の中で、ひっそり咲いていたゆり。

このゆりも、なんだかひめゆり学徒隊を慰霊しているよう…。

 

 

さて、この展示を見た後は、家族全員黙り込んで、次の目的地に向かいました。

 

 

 

次の目的地は、沖縄県平和祈念公園です。

 

ここは、沖縄戦終焉の地を望み、慰霊碑、資料館などがあります。

 

 

 

奥に見えるオレンジ色の屋根の建物が、沖縄県平和祈念資料館です。

 

沖縄県平和祈念資料館は、明治時代から現代にいたるまでの沖縄の歴史を語る資料が展示されています。

 

そして、やはり一番多く占めるのは、沖縄戦の展示でした。

 

先に見たひめゆり学徒隊だけでなく沖縄戦で戦った兵士、犠牲になった一般の人たちの写真や遺品なども展示されています。

 

沖縄戦の民間人の死者は推計約94000人とのこと。

約4人に1人がこの地上戦でなくなったとされています。

 

やはり、生々しい展示に言葉を失います。

 

また、この展示を見ながら思ったことは…沖縄の人はいまだに本土と比べ物にならないくらい、アメリカの基地なども多く、その弊害に苦しんでいる人が多いという事でした。

 

騒音、犯罪、環境汚染…どれをとっても、沖縄の人の人権が軽視されているというか、安心して生活する妨げとなっています。

 

 

最近、わたしが住む隣の県佐賀県でも、オスプレイの飛行が再開されましたが、安全性はどうなのでしょうか…。

納得のいく説明はされていません。

 

 

沖縄の人の声は無論、私たちの声も、そして基地について、これからの方針について、政府は心底納得するまでとことん説明を尽くしてほしいと思います。

 

 

 

日本は沖縄、長崎、広島でなくても空襲に遭っています。

空襲とは、無差別殺人。

 

なぜこのようになったか、自分たちで戦争について、検証することも大切だと思っています。

 

その上で、私たちが平和の大切さをもっと発信できればと心から思います。

 

そして、先勝国や大国なら、何を言っても何をしても許される、敗戦国は何を言う権利もない…、そういういう人々に、驕った考えを改めてもらいたいです…。

 

 

 

 

 

平和祈念公園から話がそれました。

 

話を戻しますね。

以下は公園内のモニュメントや施設です。

 

 

沖縄県平和祈念堂

平和への思い、戦没者追悼の象徴として、建てられました。

 

 

さざなみの池

イベントがある時に、平和の火がともされるとのこと。

 

 

沖縄戦最初の上陸地である座間味村で、火打石を使って採取した火と広島市の平和の灯、長崎市の誓いの火を合わせてともした火だそうです。

 

普段は、その火は地下で保存されているそうです。

 

 

 

平和の礎(いしじ)

この向こうに、沖縄戦でなくなったすべての人の氏名を刻んだ記念碑があります。

 

 

 

公園から太平洋と、摩文仁の丘と言われる丘陵地を望みます。

沖縄戦終焉の地です。

 

数十年前に前に初めてここに行ったときは、海岸におりて、手を合わせた覚えがあります。

その時は、季節が夏だったからか、むせかえるような湿気の断崖でした。

 

今回は、公園から眺めるだけです。

この時間は、既に雨もやんで穏やかな海でした。

 

今は、ここで激戦があったとは思えないほどです。

 

 

 

さて、この資料館で、相当時間をとったので、帰りのレンタカーを速やかに返却しなければいけません。

 

なのに、渋滞や、道を間違えたりして…

途中で、少し遅れるかもしれないと、レンタカー会社に連絡をしましたが、どうにかぎりぎりセーフの返却が出来ました。

 

この後は、那覇空港に戻り、ゆいレールというモノレールに乗って国際通りに行きました。

夜は雨もやんだのでこの通りをぶらぶら。

国際通りの散歩は、私が楽しみにしていたことの一つです。

 

沖縄ならではの小物やアクセサリーを売るショップや、民芸品、かりゆしシャツ、沖縄料理の居酒屋さん、沖縄のアーチストのライブを聞かせてくれる店…などなど、中にはいるだけでなく、ただ見ているだけでも飽きません。

 

この日は、沖縄のブルーシールのアイスクリームを食べたり、大きなハンバーガーを食べたりして、夜の国際通りを満喫しました。

 

 

ところで…

 

この記事を書くにあたって、長女に改めて、

「沖縄の戦地巡りをして、これからこうしようと思う事ある?」

と聞いてみたら、興味深い答えが返ってきました。

「必ず選挙に行こうと思う。」

「なぜ?」

「戦争なんて好きな人はいない。しかし、政治に無関心な人が多かったら、少数の人が選んだ政治家が、自分の意に反することをしても何にも言えない。だから、自分の意見を反映させるためにも選挙には必ず行かなければいけない。」

 

うんうん。

わたしも、選挙は必ず行かなくてはいけないと思います。

 

 

 

長い文章になりました。

最後までお読みいただきありがとうございました。

 

 

 

次回からは、沖縄観光の話です。

今度は、本島北部へもいきますよ。

 

 

 

 

 

今日も…日日是好日