泣いても笑っても日日是好日

人生は一期一会の連続。平凡な毎日でも、泣いても笑っても…

優しさにつつまれて…我が父逝く

 

f:id:gracedusoleil2525:20220207162225j:plain





 

 

皆さん、お久しぶりです。

お元気でいらっしゃいましたか?

私にとって、お正月前から2月の下旬まで、怒涛のごとく過ぎていきました。

 

そして、いつの間にか、ブログ開設2周年の記念日も終わってしまいました…。

 

さて、前回父の調子が悪いことをブログに書きましたが、実はその後、父の健康状態は急速に悪化して、とうとう永遠の別れの時を迎えることとなりました。

そして、2月下旬に四十九日を終え、忌明けを迎えたところです。

 

…と、いう訳で前回のブログを投稿してから、またもや長いお休みをしてしまいました。

そのよう中で、優しいお心遣いや、応援のメッセージを下さいましたブロガーの皆様にどれほど元気づけられましたことか…。

改めて、御礼申し上げます。

 

また、感謝と言えば、父が倒れた時から、周りの方々に感謝する事ばかりでした。

今回は、その話をしたいと思います。

 

 

 

 

 

 

 

父が脳梗塞で倒れたのは、昨年の大晦日

MRIと心電図と血液検査の結果から、主治医のK先生(訪問医療の先生です)に、

「まずはお薬を2週間ほど飲んで、様子を見てみましょう。」

と言われ、その日は介護施設に戻りました。

 

しかし一旦落ち着きかけてい父の調子は、正月明けに急に悪くなり、とうとう入院することに…。

 

更に、入院した時は父に面会は出来たのですが、入院して2日後にはオミクロンの流行のため、なんと面会禁止というショッキングな通告が!!

(今から考えると、福岡の感染者のピークは5000人越え。まだまだ、この時はこの20分の1もなかったのですよ。)

 

唯一、週1回洗濯物を持っていく時に、予約制でしかも病院の一室でズームで面会を許可する、という大変厳しい対応となりました。

しかも、たった5分。

ズームなのに…。

 

そのためか、夕方には必ずK先生が父の状態を電話で伝えてくださいました。

そして先生が言うには、

「今の状態では、お父さんは退院するまで(そもそも1ヵ月の入院予定だった)、生きていられるか分からない。

このような状況だから、いっそのことご家族が自由に面会できるように、お父さんを退院させましょう。」

 

実際、父の調子は日毎に悪くなっていっておりました。

父の体調が悪くなったからこそ退院させるということは、先生にとってかなり勇気のある発言だと思います。

 

それで、先生のおっしゃることをありがたく受け取り、兄妹で今後の流れを確認したのち、すぐに介護施設に話をしました。

 

介護施設の方でも、幸いなことに、その日からすぐ受け入れ態勢の準備に入ってくださいました。

  • 父のベッドを、床擦れがしないようなベッドに代えること。
  • 痰をを今までより頻繁ににとること。
  • 部屋の中にレンタルの浴槽を入れること。
  • 食事は全介助でゼリーを食べさせること。
  • もう使わない車椅子や、リハビリのための諸道具を返却すること。

などなど。

その日から様々な打ち合わせのために、ケアマネージャーさんから頻繁に電話もありました。

 

いよいよ父の退院の日も決まり、後は移動するだけという時。

私は以前から気にかかっていたことを先生にお話しました。

 

それは、一度、家に父を連れて帰りたいということでした。

家に入れないまでも、庭だけでも父に見せてあげたい。

 

これは、父が介護施設にお世話になって以来、ずっと気にかかっていたことでした。

けれど父の体調やコロナの流行で、なかなか外出の許可が出なくて、いまだ実現しないままだったのです。

 

私の家は、父が福岡に転勤してきて永住を決め、脱サラした後に建てたという、思い入れのある家です。

ただ、坂道の上の方(山と言ってもいい)にあり、階段も多く、自宅で介護するには不向きな家でもありました。

 

私「先生、父を退院させるとき、1分でもいいから自宅に帰省させたいのですが…。」

先生「ここから自宅まで1時間弱ですね。そこから介護施設まで更に40分ですか…。ちょっと考えさせてください。」

 

自宅は病院から遠いし、無理して連れて行っても、意識が朦朧として、自分がどこにいるのか把握できないかもしれない、とのこと。

 

しかし、それから、30分くらい後でしょうか。

先生からまた電話がかかってきました。

「やはり、家に連れていきましょう。一度介護施設に戻ったら、二度と外に出ることはないでしょうから。」

 

因みに、退院の日はK先生のお休みの日でした。

在宅診療の先生は、出勤の時は訪問する患者さんの予定が詰まっていて、自由な時間がないそうで、退院の日はお休み返上で父に付き添ってくださるとのことでした。

 

さらに、退院のための介護タクシーの予約をしよう、という話を聞いた介護施設の施設長さんが、

「車の使用予定がないので、私が運転して実家まで連れて行って差し上げましょう。」

と申し出て下さいました。

 

K先生と言い、ケアマネージャーさん、施設長さん…皆さん、なんて優しいのでしょう。

 

 

 

優しさの連鎖は、まだまだ続きます。

 

 

 

いよいよ明後日が退院という日。

 

11時頃でしょうか。

K先生から電話がありました。

 

先生「お父さんが危篤なので、すぐ病院へ来てください。」

私「今の時期、病院は患者が臨終でも家族は面会できないと聞きましたが…。よろしいのでしょうか?」

先生「そのことについては、私から病棟のスタッフに話をするので、すぐ来てください。」

 

それならばと、厚かましく兄達も面会できるように頼みましたが、さすがに兄達は、面会はできませんでした。

 

さて、病院に着くと、テレビでよく見るC国の防護服みたいな恰好をさせられました。

 

そして、先生の電話では面会を5分だけできるようにした、と言われたのですが、

「お父様は大部屋からお室に移しましたよ。だからゆっくりお会い下さい。」

と、看護師さんに言われました。

おかげさまで、スタッフの方々のご好意により父の臨終まで1時間ばかり、立ち会うことができました。

 

父と二人きりになって…

 

聞こえているか分からないけど、ひたすら今までありがとう、と感謝の言葉を言い続けていたような気がします。

 

……さらに個室なのでこっそり画像付きライン電話で父を映して、兄達に送り、父の耳元にスマホを近づけて、兄の声を聴かせていました…。

 

 

 

 

…………………………………………………………

 

 

 

 

 

その日はK先生は在宅診療中で、その場には居合わせませんでしたが、全てが終わった後の待ち時間に、お電話をいただきました。

 

 

 

 

そして…

 

やはり気にかかっていたことは、父を生きている時に帰省させられなかったこと。

 

葬儀会社の運転手さんに事情を説明すると、葬儀会場へ父を連れていく途中で、我が家に寄ってくださいました。

そして、私の家の前に車を止めると、父の顔にかけていた白布を取って車のドアを全開にして、父の家への最後の別れをさせて下さいました。

 

 

ちょうどその時、夫が家の玄関前に立っており、父の傍に庭の夏みかんを置きました。

 

 

 

 

 

 

…………………………………………………………

 

 

 

 

 

それから、お通夜、お葬式他の法要関係、役所への手続きなど一転、事務的な作業が怒涛の如く始まります…。

 

今も継続中です…。

 

 

 

 

 

思い返してみれば、父が入院してから慌ただしい中にも、周りの人の優しさに包まれてばかりでした。

その時はその心遣いに思いを馳せることが出来なかったのですが…。

ただただ感謝したいです。

 

 

 

改めて…

この場でお礼を言わせてください。

 

 

K先生をはじめ、病院のスタッフの方々、ありがとうございました。

介護施設のスタッフの方々、ありがとうございました。

葬儀会社の運転手さん、スタッフの方々、ありがとうございました。

 

お兄ちゃん、夫と子ども達、情緒不安定となりかけていた私を支えてくれて、ありがとう。

 

 

 

そしてブロガーの皆さん、私が落ち込んでいた時に励ましの言葉をかけて下さり、本当にありがとうございました。

 

 

後日譚

 

 

 

お葬式、初七日が終わり、お骨が私の家へ戻ってきました。

ひさしぶりの自宅です。

娘は、翌朝おじいちゃんに見せるのだと言って、骨壺を持って庭を歩いていました。

 

 

 

 

今日も…日日是好日

 

 

 

p.s.1

 

次回は、コロナ大流行の中で行った今どきのお葬式事情について、お話しようと思いましたが…

気がついたら、劇団四季『キャッツ』の千秋楽(4月17日)が迫っていました!

と、いうことで、そのレポートを先に投稿したいと思います。

 

p.s.2

 

今から、ゆっくりではありますが、ぼちぼちと皆さんのブログに遊びに伺わせていただきますね。

皆さんとの再会が楽しみです!!