泣いても笑っても日日是好日

人生は一期一会の連続。平凡な毎日でも、泣いても笑っても…

與止日女神社…ここは九州の嵐山ですって?!

與止日女神社  二の鳥居  駐車場側入り口 

 

 

 

松の内過ぎたから…

 

明けましておめでとうございます。

 

でなく、

 

寒中お見舞い申し上げます…

 

ですね。

 

父の3回忌を終えてから投稿しようと思っていましたので、ちょっと遅くなりました。

 

そして、お正月の地震で、被災をされました方に心よりお見舞い申し上げます。

地震に、飛行機事故、北九州の火事、新年早々、言葉を失いました。

 

ただただ、これからの日々が穏やかな日であってほしい、そして被災された皆さんが1日でも早く安心できる生活に戻ってほしい…心からそう願います。

 

 

 

さて、我が家では…

今年は、我が家は、前厄やら、就活やら、人生の節目となる人が多いので、お正月にご祈願をしていただきました。

ご祈願なんて七五三以来…と思ったら、2年前の自動車事故を起こしたあと、車の祈願をしていました…。

 

今回は、諸物価上昇中…

お財布と相談しなければいけないので、家族一緒にできる家内安全をお願いしました。

 

 

そして、ご報告があります。

HSK2級に合格しました!

 

3日が結果発表でした。

 

いやぁ、嬉しいですね。

それで、わたしの今年の目標は、中国語検定HSK3級に合格すること、にしました。

 

また、一つ一つ前に進んでいこうと思います、

 

試験についてのレポートは、次回書くことにして、今日は今年最初の投稿なので、初詣に因み、神社紹介を書きたいと思います。

 

といっても訪れたのは、夏のことですが…。(笑)

 

 

 

 

それでは、今年も、どうぞよろしくお願いします。

皆様に、福あれ!

 

 

 

 

 

 

 

 

 

さて、これは昨年の夏のお話…。

 

お盆休みに、次女が帰省してきて家族が揃ったので、日帰りで佐賀の古湯温泉に行きました。

 

昔、佐賀県に住んでいた頃は、社宅からも近くよく行ったのですが、佐賀を離れてからは久しぶりです。

 

古湯温泉の歴史は文字通り古く、今から2200年ごろ前に、日本に不老不死の薬を探しに来た徐福が発見した、との伝説があります。

 

また、近代では青木繁(1882~1911)、斎藤茂吉(1882~1953)なども訪れた由緒ある温泉郷だそうです。

 

そして、その帰りに肥前国一宮の與止日女神社(よどひめじんじゃ)に寄りました。

今回は、この紹介をしたいと思います。

 

與止日女神社は、嘉瀬川…別名川上川…と言う川のほとりにあります。

 

そして、そして、この一帯は、川上峡と呼ばれています。

別名九州の嵐山と呼ばれているそうな。

嘉瀬川の両側に山が迫っていて、さながら京都の嵐山観たいということから、名付けられています。

 

以前来た時は、鯉のぼりの季節でした。

川の上の多くの鯉のぼりが、風になびいていて、空に向かって泳いでいました。

なかなか壮観でしたよ。

 

 

それでは、案内の看板「與止日女神社略記」とウイキペディアを参考に、由緒などをご紹介しますね。

 

與止日女神社は、別称「淀姫神社」「河上神社」、通称「淀姫さん」と呼ばれているそうです。

 

創建は、『肥前国風土記逸文によると、欽明天皇25(564)年。

 

ご祭神は與止日女命(よどひめのみこと)

 

この神様は、神功皇后の妹とも豊玉姫(竜宮城の乙姫様)とも言われます。

 

ご神徳は、海の神、川の神水の神、農業をはじめとする諸産業、厄除け開運、交通安全の神様とのことです。

 

また、鯰は與止日女命のお使いとされて、この辺りでは鯰は食べなかったそうです。

 

元寇として知られる弘安の役(1281年)では、與止日女大神の神霊が敵の船を粉砕した、と伝えられているそうです。

 

 

 

 

 

また、北九州地方には、與止日女命を祀る神社が多数あり、そのうちの6社が嘉瀬川流域にあるとのことです。

 

 

 

 

さっそく、お参りをしましょう。

 

 

 

駐車場から、嘉瀬川が見えます。

 

ここは大和町と言うところですが、嘉瀬町と言う嘉瀬川下流の河川敷では、11月上旬に佐賀インターナショナルバルーンフェスタが開かれます。

 

佐賀市内に住んでいた時は、よく風に流されて飛んでくるバルーンを見かけました。

乗っている人の顔が見えそうなくらい低い所を飛んでいることもありましたよ!!

 

と、さっそく話がそれてしまいましたが…

神社の話に戻しますね。

 

 

暑い日の参拝では、休憩できる木陰がありがたい。

 

 

河川敷に降りて行って、ボートに乗ることもできます。

 

 

それでは、拝殿の方へ進みましょう。

 

鮮やかな緑の木々に囲まれた参道を進むと、三の鳥居(佐賀市指定重要文化財) があります。

 

三の鳥居   

佐賀藩初代藩主鍋島勝茂(1580~1657)が慶長13(1608)年に寄進したもの。

 

 

この鳥居は石造りで、肥前鳥居と言うそうです。

肥前鳥居とは、室町時代から、江戸時代初期にかけて多く作られた鳥居です。

特徴としては、鳥居の笠木と島木が一体化して両方の端が流線形に伸びている形で、更に柱が、下に行くほど太くなっている形で、佐賀県全域で見られる鳥居だそうです。

 

参考までに、鳥居の名称の図を載せますので、参考になさってくださいね。


f:id:gracedusoleil2525:20230917162712j:image

引用:ウイキペディアより

 

 

 

 

鳥居をくぐって、東側 (嘉瀬川側)を見ると…

 

子宝に恵まれるという自然石の「金精さん」f:id:gracedusoleil2525:20230917163227j:image

看板によると、この石は男根の形をした自然石で、昔子どもが授からなかった與止日女命が、この石に触れながら祈願したら、色が白く肌の美しい玉のような子どもが授かったとのことです。

 

ここで語られる與止日女命は、神功皇后の妹とのことで、神功皇后新羅出兵の折にここに滞在していたと言われています。

 

 

 

 

西側を見ると…

 

お手水

まだまだ、消毒液が手放せませんね。

 

 

ご神木

青々として立派ですね。

 

 

 

 

東側(川側)のご神木   夫婦杉

神社にお参りした後に、この杉の周りをまわると夫婦、恋人、友人同士が仲睦まじく、更に家内安全、子孫繁栄と三つの願いが叶うそうです。

 

 

夫婦杉を見上げたところ。

見上げたら、凄く高い。

二つの木が1本になったみたいです。

 

 

やっと拝殿に着きました。

 

 

ここで、世界平和と、家族の健康、夫婦円満をお祈りいたしましょう。

2礼2拍手1礼‼️

 

今回も、温泉の帰り道に懐かしさのあまり、ふらっと寄っただけなので、写真をとるのを忘れていましたが、拝殿の中の天井にはたくさんの天井画がありました。

 

 

ところで、この與止日女神社から約7キロメートル離れたところに『肥前風土記』にも記されている、巨石パークと言うところがあります。

 

佐賀市の公式ホームページの説明によると、標高200~350メートルの地点に10メートル以上の巨石群が17基点在しているそうです。

 

そこは、與止日女神社のご神体と考えられているとのこと。

 

古代祭祀の跡が今も残っているのですね。

 

 

私は、もう20年以上も前、興味半分で、巨石パークに行った事があります。

 

もう、夕方近くなっていたでしょうか。

 

パークというわりには、整備もされていなくて、薄暗く、足場も悪いなかを登ったのですが、何だか気味悪く怖くなって途中でリタイヤしました。

 

当時は、もちろん與止日女神社と関係があるなんて知りませんでした。

(というか、與止日女神社との関係は、この記事を書いていて初めて知りました。)

 

 

今は、色々整備されて、巨石パークは‥釣り体験コーナーなどがあって、手頃なハイキングコースとして、文字通り楽しい所、パークみたいになっているみたいですよ。

 

 

もっと、先に進みましょう。

 

西側にある境内社の與止日女天満宮

 

受験の神様としてだけでなく、ぼけ封じの神様としても信仰を集めているそう。

 

この時は、

年内に語学の検定試験を受けたいが、なかなか身に着かない。

どうか、もっと実力がアップしますように。

…と言うようなことを拝んだような気がします。(笑)

 

 

 

 

やはり拝殿の西側にある巨大なご神木

凄く大きな楠の根っこ。

 

見上げると…

立札にはによると、今から約370年前(立札が2013年にできているので、今からは380年前ですね。)、明国の僧がこの大楠を見て、

「珍しい大木である。大唐四百余州広しといえども、恐らくかかる大木は見られまい。」

と驚いたとのこと。

 

佐賀初代藩主の鍋島勝茂はこの話を聞いて、石垣を作って、国を守る霊木として保護したそうです。

 

さて、この大楠は樹齢約1500年。

という事は、植えられたのはえ~と、え~と、聖徳太子が生きていたくらいの時代?

わぁ~、古いですね。

 

高さは30メートル余り、幹の周りは27メートルあります。

 

残念なことに、江戸時代後期に落雷に遭ったそうです。

だから、今私が見ているこの木は、その後に生えてきた木ということになります。

火事で焼けなかったら、どれくらい高くなっていたことか。

 

 

因みに佐賀名木100選に選ばれていますよ。

 

 

拝殿を進むと本殿が見えてきました。

本殿を西側から見たところ。

重厚な雰囲気が、歴史の古さを感じますね。

 

西門(佐賀県指定文化財

本殿側の出入り口です。

元亀4(1573)年の建立。屋根は本瓦葺、切妻作りだそうです。

この年は室町幕府が滅んだ年です。

これまた古い。

 

 

本殿の裏をぐるっと回って、東側の川の方に行くと、展望台と言うか、川を見ながら休憩できるようになっていました。

赤い橋がレトロですね。

 

なるほど、川上峡は美しい。

さらに初夏の鯉のぼり、秋は紅葉を楽しむことが出来ます。

 

 

 

ところで、『古事記』に景行天皇の皇子の小碓命(おうすのみこと)が、九州で悪さをする熊襲建(くまそたける)を征伐するする話があります。

 

 

熊襲建が宴会をしているときに、女装して近づき、熊襲健を刺殺するという話です。

熊襲建は死ぬ前に小碓命に「倭建(やまとたける)」と名乗るように進言したと、記されています。

 

この與止日女神社のある大和町では、このときの話が町内の昔話として伝わっています。

大和町史』によると、熊襲建は、小碓命に倭たけると名乗らせ、自分は、この地方の名前をとって川上建と名乗ると言って、死んだそうです。

 

川上建のお墓も大和町の町内にあるとのこと。 

 

 

本当の話かは分かりませんが、モデルとなった出来事があったのかもしれませんね。

 

吉野ヶ里遺跡もここから13キロメートルしか離れていませんし…。

 

この大和町は、結構古代史のキーポイントとなる土地だったのかも。

 

因みに、景行天皇が実在していたら、4世紀ごろの人と、ウイキペディアにあるので、その頃のお話だと思います。

 

 

さてさて、與止日女神社

古い神社ならではのすがすがしさと、ご神木も沢山あって、緑も多く、ここから見られるゆったりとした川の眺めは心を落ち着かせてくれます。

 

お参りするときは、古湯温泉や川上峡温泉とセットで来たら、より楽しめそうですね。

秋のバルーンフェスタや、初夏の鯉のぼりの季節がいいかも。

 

海外からの観光客がいない分、季節の移り変わる情緒をしっかり体感できるかも。

 

なんといっても、與止日女神社のある川上峡は九州の嵐山だそうですから‼️

 

 

 

 

 

では、さいごに、アクセスです。

 

與止日女神社

引用:グーグルマップより

 

① 自動車

  長崎自動車道の佐賀大和ICから車で2分

 

② バス

  佐賀駅バスセンターから、バスで25分

  昭和バス(古湯行き)に乗って、川上橋で下車。

  そこから徒歩2~3分。

 (結構、佐賀駅から近いのですが、バスの本数が少ないです。平日は1時間に1本、土日は2時間に1本程度です。)

 

 

 

 

巨石パークについては、佐賀市公式ホームページからどうぞ。

 

www.city.saga.lg.jp

 

 

 

 

今日も…日日是好日