引用:ウイキペディアより
その日は、ちょうど3年ぶりに行われた放生会の日。
放生会の日に、お参りしたのは何十年ぶりでしょう。
子どもの頃に行った放生会は、いつも夜でした。
夜は、賑やかでお祭り気分でいっぱいですが、今回は1日目の午前中だったという事もあり、人も少なく出店も準備中でした。
今回、記事にするつもりで行ったわけでなかったのですが、境内をブラブラしている途中で、
あっ、これ、ブログの題材になるわ…
と思い、書いたのが、今日の記事です。(笑)
という事で、今日は筑前國一之宮である筥崎宮を紹介したいと思います。
創建については諸説あるようですが、筥崎宮の公式ホームページによると延喜21(921)年。
もう、1000年以上も前のことになります。
大分の宇佐神宮、京都の石清水八幡宮とともに日本三大八幡宮の一つとして、数えられています。
拝殿の神門には、元寇(蒙古襲来)の時に亀山上皇(1249~1305年)が元軍の退散を祈願するために書いた「敵国降伏」の文字を、模写拡大した額がかけられています。
このことから、筥崎宮は現代では勝負の神様、海上交通の神様として信仰を集めています。
「敵国降伏」の文字から、おどろおどろしい印象を受けますよね。
でも、説明版を見ると「徳の力を持って導き、相手が自らなびき降伏するという、王道である我が国の在り方を説いています。」とのこと。
徳の力…現代の世の中では、もっとも不足していて、一番求められていることと思うのですが、いかがでしょうか?
では、さっそく、境内を歩いてみましょう。
正面の一之鳥居(重要文化財)から、境内の中を見たところ。
この鳥居は、黒田藩初代黒田長政が慶長14(1609)年に建立したものです。
別名、筥崎鳥居と言われます。
放生会だけど、一日目の午前中という事もあって、まだまだ参拝客はちらほら。
ところで、放生会って、博多三大祭の一つなんですって。
博多三大祭と言うと、博多どんたく港祭、博多祇園山笠、そしてこの放生会だそうです。
さて、この位置から、後ろを振り返ってみると…
ずらりと、出店が並んでいます。
コロナのため、3年ぶりのお祭り。
皆さん、気合が入っているようですね!!
因みに、鳥居の向こうは、国道3号線です。
それでは、鳥居をくぐって手を洗い、まずお参りをいたしましょう。
楼門(重要文化財)
楼門は小早川隆景により文禄3(1594)年に建立されました。
いつもは、写真中央の暖簾みたいなものがかかっているところ(なんていうのか分かりません。すみません。)から拝むのですが、この日は、暖簾をくぐって中に入ることが出来ました。
屋根の下の額が、先ほど紹介しました「敵国降伏」の額です。
2礼2拍手して拝みます。
家族が健康で、いつも笑顔でいられますように。
世界中の人が、皆笑顔でいられる日が来ますように。
そして1礼します…。
拝殿では、放生会の神事を厳かに執り行われておりましたよ。
そして、ひちりきや、笙など古楽の生演奏。
演奏している人たちも、神主さんたちと一緒で、白い装束をしていました。
放生会の神事を見るなんて、はじめて。
ラッキー!!
では楼門から、時計回りに歩いてみますね。
まず、拝殿の左手奥にあるのが、東末社。
左から、稲荷社、住吉殿、乙子宮、武内社、池島殿、と5柱の神様が祀られています。
本殿の真後ろには、JR鹿児島本線方面から来る人のための、出入り口があります。
灯篭と灯篭の間が、その通路です。
木が多いので、この辺りは、日差しが強くても涼しいです。
そして、この出入り口を中心として、東末社の対象の位置にあるのが、西末社です。
左から、民潤社、厳島殿、仲哀殿、若宮殿、龍王殿の5柱の神様がいらっしゃいます。
西末社にお参りして、拝殿の正面に戻ってきましたよ。
それでは、この他の見所も、ご紹介しましょう。
高さは6メートルもあるのですって。
亀山上皇は、元寇に際し、「我が身を以て国難にかわらん。」と敵国降伏の祈願をされたそうです。
この写真、ちょっと、眩しすぎてお顔がよく分かりませんね。
このようなお顔だそうです。
引用:筥崎宮公式ホームページより
(この写真の銅像は、筥崎宮のものでなく、筥崎宮の亀山上皇像をもとにして作った、東公園(福岡市博多区)の銅像です。)
御神木の筥松。
近くの宇美八幡宮(福岡県糟屋郡宇美町)でお生まれになった、応神天皇のご胞衣を「筥」に入れて、ここに埋めました。
そして、そこに目印として松を植えたそうです。
胞衣とは、胎盤…へその緒のこと。
正面にアビスパ福岡の巨大な絵馬がかかっていますね。
裏には、ソフトバンクホークスの絵馬もかかっていました。
皆さん、必勝祈願に参拝するのですね。
ところで、筥松は、地名にもなっています。
昔は、九州大学箱崎キャンパス(本学)に通う、九大生の下宿街だったのですよ。
湧出石(わきでいし)
触ると運が湧き出てくるとのこと。
これ、結構触るの大変なのです。
膝をついて、う~んと手を伸ばさなければいけません。
立ったまま触ろうとすると、つんのめって腰が悪くなりそうです。
お潮井
春分の日と秋分の日に一番近い「つちのえ」の日にお潮井とりの神事が行われます。
このお潮井をてぼ(籠)に入れて、玄関に置き、外出の時に自分の身に振りかけると災厄から逃れることが出来るそうです。
我が家でも、この砂を玄関に置いています。
そして…
ただ置いているだけです…(笑)
銭洗御神水
てぼ(籠)に小銭を入れて、福運長寿を願いながら、ちゃぷちゃぷとすすぎます。
そうしたら、そのお金を使うことにより、福が授かるそうです。
って、写真の説明に書いています…。(笑)
蒙古軍船の碇石。
福岡は、元寇(蒙古襲来)の激しい戦いのあったところです。
その時の元軍の船の碇が、引き上げられたのですね。
御神木の大楠。
とても迫力あります。
樹齢800年ですって。
楠って、大きな大きな木になるのですね。
お守り・お札・縁起物の授与所。
箱崎宮で有名な縁起物は、おはじきと博多ちゃんぽん。
おはじきとは、素焼きの粘土製で、厄をはじくという縁起物。
博多ちゃんぽんとは、ビードロのことでです。
放生会という事で、演芸の舞台が設置されていましたよ。
博多どんたくで設置される舞台みたいな雰囲気です。
コロナの中で自粛していた身には、どんちゃんどんちゃんにぎやかな雰囲気は、なんだかほっとします。
因みに私が、お参りした時間は、まだ舞台の設営中でした。
ところで、筥崎宮でよく知られている神事と言えば、放生会のほか、お正月の玉せせり(玉取祭)、博多祇園山笠のお潮井とり、そして、承天寺のおかげ参りなどがあります。
その中で、承天寺のおかげ参りについて、ご紹介しましょう。
むかし、承天寺(福岡市博多区)の開祖で、聖一国師(1202~1280)と言うお坊さんがいました。
聖一国師が宋の国に留学して、日本に戻る時に玄界灘で嵐にあったそうです。
その時、筥崎の神様に、どうか無事に港にたどり着けますように、と拝んだら、嵐がやみ博多の津に帰港できたとのこと。
そして翌年1月11日に筥崎宮にお礼参りをしたそうです。
その時から、毎年1月11日に、承天寺のお坊さんが筥崎宮に来て、拝殿の上を巡り読経して帰るそうです。
引用:筥崎宮公式ホームページより
神仏習合の時代ならでは、のお話でしょうか。
なんだか、ほっこりします。
因みに、小学生の時、福岡の民話と言う本を読んだことがあるのですが、私の記憶に間違いなければ…。
聖一国師が筥崎様にお祈りしたら、ウサギが出てきて、そのウサギがまっすぐ岸の方へ走っていった。
そのウサギの通った道が黄金に輝いて、その黄金の道を進んだら博多の津に着いた。
と、書いてあったような気がします。
でも、確認のため、オンラインでこの話を調べても、ウサギが出てくる話を見つけることが出来ませんでした。
思い違いかしら。
博多のお祭りに、ゆかりの深い方なのですね。
ふと、空を見ると、雲が十字に。
本当は、筥崎宮に着いたとき、飛行機雲が交差していたのですが、写真を撮るつもりがなくて。
この写真を撮ったときはもう、消えかけていました。
筥崎宮、いかがでしたか。
筑前國一之宮です。
アビスパの選手も、ソフトバンクの選手も必ずお参りに来る神社です。
天神からも近いし、福岡にいらっしゃったときは、どうぞ、足を延ばしてみて下さいね。
最後に、アクセスを載せますね。
ご来福、お待ちしております!!
今日も…日日是好日。