皆さんは、お医者さんに行く時、決まったお医者さんはいらっしゃいますか?
そして、そのお医者さんは目を見て話すタイプのお医者さんですか?
私が会って、このようなお医者さんはとても落ち着ける、という話をしたいと思います。
私は、夫の転勤で福岡に戻ってきてから、両親と同居していました。
母は、亡くなるまでに4度入院しましたが、3度目の入院の時のお話です。
母には、心臓に持病があり、行きつけの内科がありました。
その内科の先生をO先生と言います。
元々、別の内科に行っていたのですが、その内科の職員で結核に感染ている人が、それと気づかずにに働いていました。
そのため、いつも来院していた母達も、保健所で結核の検査を受ける事になりました。
そのような事情から、母は友達から紹介して貰った、O先生のところへ新たに通うようになったのです。
このO先生は、とにかく薬をどさっと出す先生で、診察はパソコンばかり見ているような先生だったそうです。
母は、調子のいい時も悪い時も薬の量が減らないので、だんだん不信感を持って、さりとて病院を変える勇気もなく、そのままO先生の内科に通っていました。
ところが、母がO先生の薬を全部しっかり飲んでないことが分かり、O先生との仲が険悪になっていきました。
そんなある日、母は胸がとても痛くなり、あわててO先生のところへいきました。
私は、車で送迎はしますが、基本病院内は入りません。
で、帰り道、
私「どうだった?」
母「先生は自分の出した薬をちゃんと飲まない患者さんを見る気になれない。帰ってください、と言われた。」
びっくりしました。
確かに、先生の言われた薬をちゃんと飲まない母にも非はありますが、何故いつもそんなにたくさんの薬を服用しなければならないか、納得のいくように説明してほしかったと思ったのです。
しかも、今苦しんでいる患者に向かって言う言葉と思えない…。
私はかっとなって、
「お医者さんを変えよう! 私がお世話になっている小児科の先生の弟さんが新しく開業しているから、そこに行こう!」
(まだ、開業して1ヵ月も経っていませんでした。)
その方はA先生と言って、子どものアレルギーで大変お世話になっている女医先生の弟さんでした。
まだ会った事はなかったけど、この姉にしてこの弟あり、という事で人柄は間違いないだろうと思ったのです。
その日は、母が疲れていたのでとりあえず家に帰りましたが、次の日は更に症状が悪くなったので、今度は私が付き添って朝一で、A先生のところへ行きました。
A先生は、優しい方で、ちゃんと顔を見て話をしてくれました。
もう、詳しい事は忘れたけど、色々と検査をした後、母に入院したい病院を聞いて、電話でその病院のベッドが空いているかを確認しました。
そして、
「今からすぐ、日赤に行きます。私も一緒に行きます。」
とおっしゃられ、救急車を呼んで、日赤までついてきてくれました。
それから、母は集中治療室に入り、幾日か後に、心臓の手術(バイパス手術)をしました。
手術は結構大手術でした。
私と父は一日中、兄達もお昼から病院に詰めていました。
日赤の先生に、高齢の母の体力次第では患部全ての箇所にバイパスを通せない、と言われましたが、おかげさまでこの時は患部全てにバイパスを通してくださいました。
後から聞いた話では…
日赤に駆け込んだのは、際どいタイミングだったそうです。
あと1日遅れていたら…
と日赤のお医者さんに言われた時、ぞっ~としました。
母がO先生と喧嘩した次の日に、A先生のところへ連れて行っていなければ、どうなっていたか…。
退院してから母はしばらくは日赤に通いましたが、その後主治医はA先生になりました。
そして、最後の入院の時も、A先生のお世話になる事になります。
この時の事を思い出しながら、私が思うには…
不安が和らぐお医者さんとは 、当たり前だけど 心を寄り添わせてくださる方ですね。
それは、動作の端々にも表れると思うのです。
A先生は、私から見ても顔を見て丁寧に話をしてくれる、信頼のできる先生でした。
私達は、元々不安な 気持ちで 病院に通うので、目を見て 話を聞いてくれて 、優しく話しかけてくれる…それだけでもかなり心が落ち着くと思うのです。
むろん、知識は大切でしょうけど…。
こんなお医者さんばかりだと、本当にありがたいです。
A先生、お世話になりました。
私も何かあったら、先生の所へ駆け込むので、その時はよろしくお願いします。
今日も…日日是好日。