3月の投稿で、父が亡くなったお話をしました。
『キャッツ』のレポートや熊本城の桜の話を早くせねばと思って、順番を入れ替えたので、今日はもとに戻って、父の法要の話をしますね。
父が亡くなった時はどんどん、オミクロン株が流行してきた時でした。
その中で行ったお通夜とお葬式。
会場の飾りつけはどのようにするか?
お客さんはどれくらい?
何時からするか?
食事は?
火葬のために必要な手続きや書類はカクカクシカジカ。
法要をしてくださるお寺さんは、もう決まっているのか?
等々。
感傷とは程遠い、こまごまとした打ち合わせを短時間でこなさなければいけませんでした。
因みに、この時に法要を営んでくださったお坊さんは2か月ほど前に、母の7回忌でお世話になったばかり。
次にお世話になる時は、6年後と思っていたのに、こんなに早く再会するとは…。
最終的には、お葬式をはじめとした法要を、コロナ大流行の中という事もあって、身内だけで行うことにしました。
出席は、私の家族、兄たちの家族だけ。
他の方は丁重にお断りして、父を悼むお気持ちだけいただくことにしました。
県外に住んでいる甥や姪たちも、このような事情だから帰省しないように、と言って了解してもらいました。
もちろん、我が家の次女にも県外にいるので帰省をしなくていい、と言いました。
が、父が倒れる前、同居していたからでしょうか?
「帰ってきたらいけないの?」
と、泣きついてきました。
まぁ、東京等から帰ってくる訳ではないから…ということで、帰省を許可。
お正月が終わって、下宿先に出発して1週間もたたないうちに再び帰省です。
仕方がないですね。
その間にも、コロナの感染者はどんどん増えています。
初七日の後の精進揚げ…みんなで食べる最後の食事は、土壇場でお持ち帰りのお弁当に切り替えました。
お通夜当日。
午前中に葬儀会場に持っていかなければならないものは、兄に持っていってもらうこととし、私たち家族は喪服を買いに行きました。
母が亡くなった時は、子ども達は学生服で出席したのですが、今度は学生服がありません。
子ども達だけ喪服を買うつもりでしたが、お腹周りの大きくなった夫もズボンの買いかえ。
ふぅ~。
予定外の出費‼️
そして、夕方はいよいよお通夜。
娘「お母さん、私、椅子に座らないでいいかな?」
私「なんで?」
娘「後ろからだと、部屋全体が撮影できるけん。」
長女は、いとこ達と連絡を取って、ズームでお通夜を中継してあげることなっていたのです。
ズームとはねぇ。
世の中便利になったものです。
そして、お焼香。
一人一人が名前を呼ばれて、お焼香します。
長兄一家、次兄一家…我が家の次女で終わり、のはずが…。
その後、長女がまたまたお焼香をしにやってきました。
あれあれっ?
今度は、三脚にくっつけたタブレットも一緒に…。
で、そのまま丁寧にお辞儀をして、お焼香をしていました。
娘「だってさ~、T君たち(いとこたち)もリアルに参加した気持ちになるやろ。」
因みに、ズームを見ていた従弟たちは皆、喪服を着てお通夜に参加していたそうです。
私「しっかりしているんだねぇ。お母さんやったら、ラフな格好でズームを見とったかもしれん。」
そして、家に帰ってから。
娘たちは翌日のお葬式にかけるBGMを編集しました。
そういえば、お通夜の後、葬儀会場のスタッフと長女がなにやら話をしていたっけ。
スピーカーがどうだとか、ブルートゥースがどうだとか…。
メカに弱い私は意味がさっぱり分かりません…。
要は、葬儀会場で流せる曲は、美空ひばりの「川の流れに身をまかせ」しかなかったらしい…。
そんなこんなで、新しくBGMを編集するのですって。
娘「おじいちゃんは、演歌が好きだったよねぇ。」
私「うんうん。」
という事で、父の好きな北島三郎、森進一、前川清、石川さゆりなどの曲を編集して、お葬式が始まるまでBGMとして流すことにしたのです。
確かに…確かに…父が好んで聞いていた曲ばかりではあるけれど…
いざBGMとして流すと、なんか大晦日の大掃除の時のBGMか、はたまた慰安旅行の雰囲気になって、厳粛な雰囲気が損なわれたような気がしないでもありませんでした。
(昔、大晦日の日には、ラジオの年間ベスト歌謡○○…というような番組を聞きながら、お掃除していませんでした?結構、演歌が多く流れていましたよね。う~ん、30年位前かしら?)
もうすぐ法要が始まるんだけど、なんなんだ、この宴会っぽい雰囲気は?!
しかし、杞憂でした。
お葬式が始まると、一転厳粛な雰囲気に。
あ~、よかった~。
さて、この日も又、長女の参加スタイルは、前日と全く一緒でした。
お葬式は昼過ぎに終わり、いよいよ火葬場にへ行きます。
コロナの為、お位牌をもって、霊柩車に乗ることができるのは一人だけ。
で、私が乗ることになりました。
いざ、火葬場に着くと、結構混んでいる。
私「やっぱりコロナで、亡くなる人が多いのでしょうかねぇ?」
運転手さん
「いやいや、いつも冬場は混むのですよ。コロナの人はね、夕方以降に火葬しなければいけないのです。」
コロナの人は、火葬する時間帯までも決められているそうな。
火葬が終わったら、とんぼ返りで初七日をしなければいけないので、法要をするにしても大変ですね。
いや、いっそのこと、ちゃんと暦通りにするのかな?
そして、父の火葬も終わり、葬儀会場に戻ってきました。
今度は、初七日の法要。
お葬式と違い、今度は司会をはじめ会場のスタッフは誰もいません。
お坊さんと、私達だけです。
火葬を終えてほっとしたからか、身内だけになった気楽さからか、なんとなく皆、お通夜やお葬式と比べてリラックスしていたように思います。
そして初七日の法要も終わり、お坊さんもお帰りになられると…
本来ならば会場で精進揚げをいただくのですが、前述のように、前日土壇場で精進揚げをお弁当にして、家で食べるように変更していました。
そういう訳で、これで解散。
我が家の次女は、別室で喪服から普段着に着替えます。
そして、精進揚げのお弁当と、お供えのメロンを貰って、長兄一家にバスセンターまで送ってもらい、またまた下宿先へ出発することになりました。
(大学はもう始まっています!!)
私の家族は、家も近いので、最後に忘れ物がないかチェックして家に戻りました。
家に帰って、ビールを飲み、精進揚げのお弁当に舌鼓を打ち…
その間、兄妹ラインにはお疲れ様や、本日の写真が次々と送られてきました。
ラインを読むと、ビールやワインを飲んで、精進揚げのお弁当を食べているとのこと。
することが、みんな一緒だなぁ。
長女も従弟たちからたいそう感謝され、
「東京に来たときは、なんか美味しいものをおごってやるけんね。」
と言われ、喜んでおりました。
(東京に遊びに行けるのはいつのことになるのやら…)
9時半頃、次女から下宿先についたよ~、とラインがあって、わたしにとっての、この一連の行事がやっと終わりました。
コロナの中で行った法要。
こういう状況で、親類も父の親しい人も呼ばず、私達兄妹の家族だけで行い、さらに文明の利器を最大限に利用した法要でもありました。
母の時とは一味も二味も違ったなぁ。
振り返ってみれば、挨拶に気を取られることもなく、法要に集中できて、逆に心がこもっていたかもしれません。
この記事が、皆さんの参考になる記事となれば、嬉しいです。
今日も…日日是好日。
P.S.
私の精神は淡白なのか、目白押しのイベント?で気が紛れていたのか、父をを悼む気持ちと言うのは、まだあまり感じられませんでした。
今…
父を亡くして、ふっと淋しいなぁ、と思うのは、主がもう二度と戻ってこない部屋に入る時です。
もう、介護施設に入ってから2年間、父は一度も家に戻ってこなかったので、今更何を…という感じですが、それでもこの部屋で父の遺品を眺め、一緒におしゃべりしたり、笑ったりしたなぁ、もう、父も母もいないんだ…と思うと、時々涙が滲んできます。
そもそも同居していたので、遺品整理も急ぐ必要がありません。
(母の遺品も、ほとんど整理できていません。)
ゆっくりゆっくり片付けていこうと思います。