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(どちらも写真提供は娘から)
8月6日、原爆式典が広島で行われました。
8月9日には長崎で…。
毎年、夏には、必ず見る式典です。
思えば、今年はもう戦後75年になるのですね。
私の子どもの頃を振り返ってみると、夏休みには、3回出校日があって、そのうち8月10日前後の出校日は必ず、平和教育がありました。
その日は、原爆投下で被爆た人たちの手記や、被爆した人や建物の写真を見たり、投下時刻で止まった時計の写真をみたりしました。
どれも,耳を覆いたくなったり、目を背けたくなったりする、リアルで壮絶なものでした。
いつ頃からかは分かりませんが、今は、子ども達は夏休みの出校日はありませんね。
(地域によって違うのかな?
少なくとも、私の住んでいる所はありません。
授業時間を確保するため、国語の教材の中に戦時中のお話を入れ込んだりしているそうです。)
そして、我が家の子ども達は、戦争は悲惨だと思いつつも、遠い昔の事だと思っているようです。
しかし、同じ戦後生まれと言っても、私が生まれた時は、成人している大部分の人が戦争体験者だったんですよね。
だから、私たちの親の世代もほとんどの人が戦争体験者でした。
かくいう私の両親も、父はあと1ヵ月戦争が長引けば、特攻隊の一員として出撃していたとの事だし(学徒動員として徴兵されていました。)、母も、空襲の火の海の中を逃げ回った話や、戦後の墨ぬりの教科書の話を良くしてくれました。
(父や母の戦争体験談はいつか又、記事にしたいと思っております。)
少なくとも家族に戦争体験者がいる事で、平和の重みとか、現代の子ども達に比べて感じ取り方にかなり差があるような気がします。
今、戦争体験を語れる人の高齢化が進み、リアルな戦争の体験を聞く事ができる機会が少なくなってきました。
リアルに体験談を語れる人がいらっしゃる間に、膨大な関連資料が読み解かれ、戦争についての検証…
なぜ、戦争が起こったのか、原爆投下の経緯、東京裁判の意義、北方領土についての考察など…
が、より前に進む事を切に願います。
ところで現在は、国際的にも一時期の世界と比べて緊張感が高まっている…そんな時代のように思えます。
日本がどのような方向に進むにしろ、それを決定する大部分の人たちは、もう戦争を知らない世代です。
日常生活を共に過ごす家族という単位の中で、戦争の体験談を語れる人が数少なくなった今だからこそ、じっくりと平和教育の時間をとって、できるだけリアルに当時の状況を知るべきではないでしょうか。
せめて、義務教育中はそう思います。
まぁ、テレビやラジオでも、特集番組はそれなりにあるのですが…。
そういえば、今年だけか、いつもなのかは分かりませんが、たまたま8月6日の某放送局の夜のニュースで、トップニュースが、広島の原爆式典でない事について、ちょっと考えさせられました。
トップニュースはコロナの話でした。
(8月9日のトップニュースは、原爆式典の話でしたけど。)
いい悪いでなく、戦争が確実に遠い記憶として捉えられつつある…。
そう、感じました。
遠い記憶になる事で怖いのは、戦争を美化する事だと思います。
戦争を美化してはいけません。
さて、我が家ではコロナが収まっていたら、今年の夏は沖縄に行く予定でした。
子どもたちが、ひめゆりの塔に行きたいと言ったので。
子どもが幼稚園の頃、一度連れて行った事があったのですが、よく覚えていないそうです。
で、長女は、最近広島に行く事があって、平和記念公園を訪れて、関心が高まったみたいです。
いつの日か、私も一緒に行って、改めて戦争と言うものについて考えたいと思っています。
今日も…日日是好日。