泣いても笑っても日日是好日

人生は一期一会の連続。平凡な毎日でも、泣いても笑っても…

私達が歴史ドラマに求めるフィクションとは…史実より現代の事情を優先?!

 

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織田信長像   引用:ウイキペディアより

 

 

1.はじめに

先日、久しぶりに見た歴史ドラマをみて、私達が歴史ドラマに求めているフィクションって何だろう、と考えて考察してみました。

 

対象は時代背景が江戸時代以前のドラマです。

資料が、明治以降より少ないので、フィクションを入れる余地が大きい時代だからです。

 

 まだまだ、気が付かないところがいっぱいあると思いますが、ぱっと気づいたことだけ、列記してみました。

 

例外もあります、悪しからず。

 

 

 2.フィクションを交えないドラマはあり得ない

 

さて私が歴史ドラマと言うと、まず最初に頭に浮かぶのがN協会の大河ドラマです。

最近は見ていないのだけど、子ども時代に見た、『新・平家物語』『国盗り物語』くらいから、かすかに覚えています。

民放なら、『水戸黄門』や『大江戸捜査網』とか好きでしたね。

 

 

ところで、歴史ドラマでは史実に必ずフィクションを加えます。

もっとも、歴史を忠実に再現と言うのは、無理な話です。

例えば、ああいったとか、こういったというのは、べったりとその人物に張り付いた人が、克明に記録でもしていない限り再現できないからです。

 

例えば…

歴史資料に

織田信長は、狸に驚いてしりもちをついた」

という記述があるとします。

それをドラマで再現すると、

「わぁ、狸じゃ狸じゃ。手打ちじゃ~」

しりもちをついた信長が怒って、側近に狸を追いかけさせるかもしれません。

 

しかし…資料になかったけど、実は織田信長が狸のことを、「たぬちゃん」と呼んだかもしれない。

本当は、しりもちをついた後、

「かわいいやつじゃ。」

と言って、ペットにしたかもしれない。

そんなこと、この記述だけでは分かりませんものね。

 

 

でも信長の「泣かぬなら殺してしまえホトトギス」と評される短気な性格をドラマで、

「ペットにしました。」

としたら、違和感を感じそうですね。

 

尤も、話の持っていき方によっては、納得がいくように描けるかもしれないけど。

 

このように、イメージがすでに固まっている人の言動は、現代の人の感覚に沿って、こういう時はこういう言動をしたらイメージを崩さない自然な印象になる、という 基準でフィクションを加えていると思われます。

 

 

3.現代の人が違和感を感じるものなら、スルーできるものはスルーする

 

次に、史実通りにすると違和感を感じるものは、スルーされますね。

 

例えば、皆が皆とは限らないかもしれないけど、歯を黒く染めるお歯黒という風習はそれにあたるのではないでしょうか。

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お歯黒をしている女性  「化粧三美人」 歌川国貞画  引用:ウイキペディアより

 

小説でお歯黒は、大人の女性の魅力を増すものとか、黒曜石の様に美しく光っていたというような形容詞のもとに描かれているものがあります。

しかし現代の人がビジュアルでお歯黒を見たら、日頃そういう人はいないので違和感を感じると思います。

少なくとも、私はそうです。

 

だから、大部分のドラマでは、お歯黒とか再現していないのですね。

 

すなわち、今の時代から見て、大きな違和感を感じる風習がスルーしても差しさわりのないようなものならば、今の価値観に置き換えて描いているという事です。

 

大河ドラマ篤姫』の宮崎あおいさんの白い歯でのさわやかな笑顔、素敵でした。

 

まぁ、今なら歯が白ければ清潔感がありますものね。

歯のホワイトニングと言うくらいだから。

 

4.ドラマには現代人の願いを投影

 

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初代の『水戸黄門』  引用:TBSチャンネル公式サイトより

 

これは、別に歴史ドラマに限らないのですけれどね。 

ドラマに現代人の願いを投影させる

 

フィクション性が強いドラマにその傾向があります。

 

例えば『水戸黄門』は絶対的な強さで、庶民をいじめる悪代官とか悪徳商人を懲らしめます。

身分を明かした後で、歯向かう人は誰もいませんでした。

(ところで、『暴れん坊将軍』〈徳川吉宗〉は、天下の副将軍〈水戸黄門〉より身分が上の人なのに、上様だと身分を明かしても、悪者は歯向かってきましたね。時代が下ると将軍権威は低下する?…笑)

 

いつか忘れましたが『水戸黄門』は、上司に押さえつけられて言いたいことが言えない悲しきサラリーマンに、絶対的な人気があったと聞いたことがあります。

 

ちょっと話がそれますが、『クレオパトラ』の映画。

クレオパトラは、美人だったというより、会話が上手で演出もうまく、そういう意味で魅力的な女性だったそうです。

映画では、そのクレオパトラを誰もが認める美人女優のエリザベス・テーラーが演じました。

視聴者が、史実より美人ということに、クレオパトラの魅力を求めていたからではないでしょうか。

 

5.結びにかえて

以上、私達が歴史ドラマに求めているものを考えてみました。

歴史ドラマは、大局は史実に即しながら、すでに出来上がったイメージを崩さない範囲で、現代ならこういう時は、ドラマで描かれているような行動や会話をするのが自然なのだ、そういう現代の事情や期待を担ったものとして作成されていると思われます。

 

まだまだ時間をかけて考えたら、歴史ドラマならではの特徴とかもっとありそうだけれど、つらつら考えていることをとりあえず記事にしてみました。

 

今日は、長々と書いてしまいました。

いつもの記事のざっと2倍!!

最後まで、お読みくださって、ありがとうございました。

 

 

参考までに、私たちが考える江戸時代のイメージについても、ご興味がございましたらお読みくださいませ。↓

 

江戸時代って遠い昔?…遠い昔はイメージで作られる! - 実年おばさんの日日是好日

 

 

今日も…日日是好日