泣いても笑っても日日是好日

人生は一期一会の連続。平凡な毎日でも、泣いても笑っても…

本の紹介 壺井栄著『母のない子と子のない母と』

 

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私が小学生の時に、祖母から買ってもらいました。

 

 

 

1.はじめに

8月は、終戦の月ですね。

私の子どもの頃は、8月の出校日が3日間があり、その中の1日は平和教育で福岡大空襲や広島や長崎の原爆の話を聞きました。

家庭においても、両親だけでなく、祖父母からリアルな戦争の体験を聞いたものでした。

今は、そのような話ができる人が少なくなりましたね。

残念なことです。

 

それで、今回は太平洋戦争に思いを馳せる記事を投稿したく思い、児童文学ではありますが、いまだに私の心に残る壺井栄の小説『母のない子と子のない母と』を紹介したいと思います。

 

まず、作者の壺井栄について、紹介しましょう。

 

2.作者について

壺井栄(1899年~1967年)は、主に児童文学の分野で活躍した作家ですが、詩人としても知られています。

代表的な作品である『二十四の瞳』を読んだことがある人は多いのではないでしょうか。

壺井栄は『二十四の瞳』をはじめとして、出身地の小豆島(香川県)を舞台にした作品を数多く書いています。 

その他の代表作には『柿の木のある家』『坂道』『石臼の歌』等、紹介しきれません。

そして、今日ご紹介する 『母のない子と子のない母と』も代表作の一つと言えます。

 
3.小豆島と『母のない子と子のない母と』の背景

 この小説は、終戦直後の小豆島を背景にお話がすすんでいきます。

小豆島は瀬戸内海に浮かぶ島で、オリーブの栽培で有名です。

主人公は母親を失った少年と、夫を空襲で子どもは戦死してしまった母親で、彼らの共同生活を本当の家族になるまでが描かれています。

そもそもは、1948(昭和23)年に『毎日小学生新聞』に連載された小説でした。

その時は『海辺の村の子供たち』というタイトルだったそうです。

1953(昭和52)年に芸術選奨文部大臣賞を受賞し、映画化もされました。

 

ところで小豆島とはどんな所でしょう。

参考までに、代表的な観光地を紹介しますね。

 

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オリーブ園 小豆島はオリーブの栽培が盛んです。

 

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二十四の瞳映画村  『二十四の瞳』も映画化されました。

 

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夕陽ヶ丘 夕日のスポット(瀬戸内海の島々が見えます。)

引用: 小豆島観光協会ホームページより

 

4.『母のない子と子のない母と』のあらすじ

おとらおばさんは、大阪に住んでいましたが、大阪の大空襲で夫を亡くし、一人息子も戦死したため、故郷である小豆島に戻ってきました。

もともと、子ども好きで、近所の子どもからもおとらおばさんおとらおばさんと慕われていました。

ちょうど、その頃、埼玉の熊谷が戦災に遭い、そこに住んでいたおとらおばさんの従弟の太田一家がやってきます。

お父さんの捨男は戦地に行っており、小豆島に来たのは一郎、四郎の兄弟とそのお母さんでした。

しかし、一郎のお母さんは病気で、お父さんが復員してくる前に亡くなってしまい、一郎兄弟はおとらおばさんに引き取られます。

そして、一郎(11歳)はおとらおばさんのもとから小学校に通いはじめます。

最初一郎は熊谷での生活を懐かしがっていましたが、徐々に島での生活に溶け込み、

お父さんが復員してきて、小豆島でおとらおばさんと4人で新しい生活をスタートさせるのでした。

 

5.感想

この小説を読んで思ったことは、終戦直後という厳しい時代に、自然豊かな小豆島を背景に、純粋に逞しく前に進もうとする子供どもたちの姿を、実に優しい目線で描いているなという事でした。

作者の視線イコールおとらおばさんの視線ともいうべきでしょうか。

幾つか、心に残った個所を引用してみますね。

 

(一郎たちが引っ越してきたばかりのくだりです)

たった、ひとり、たのみにしているおとらおばさんとは、峠をへだてていて、まいにちは顔も見られず、心細くてなりませんでした。見わたすかぎり田んぼのつづく、広々とした熊谷を思うと、海と山とにはさまれて、となりの村に行くにも峠のあるような、せせこましい小豆島は、息がつまりそうにさえ思えるのです。

 

一郎たちが、なじみのない小豆島に引っ越してきて新しい生活に不安を覚えるくだりです。

住むところを選べない辛さが、感じられます。

 

(小学校の子ども達が、おしくらまんじゅうをして、体が温まったので、手作りのオーバーや、襟巻、防空頭巾などを脱いで、荒神の森に隠して学校に行っている間に、盗まれてしまいました。)

「(略)なくなること、かんがえなんだの?」

「神さまのところだから、だいじょうぶと思った。」

達雄が言いました。

「ばか。」

「だって、これまでになくなったこと、一ぺんもなかったもん、なあ、史郎ちゃん。」

 

子ども達がなくしたものは、父親の形見でつくったオーバー等とても大切なものでした。

大切なものと知りながら、神様のところなら安心だという発想。

子どもらしい純粋な思いと、そのような子どものものでも盗まざるを得なかった誰か。

戦後間もない頃の生活の苦しさが垣間見られます。 

 

(一郎が、初めて史郎と遊ぶ約束をするのですが、史郎の畑仕事の手伝いの日と重なってしまいます。そこで、一郎も史郎の手伝いをすることになり、おとらおばさんが、お弁当を持って、駆けつけます。)

「おじゃまなことですけど、よく、しこんでやってつかあされ。」

そして、小さな紙包みを一郎の手にもたせてやりながら、

「ほれ、おべんとう。ひや飯のおにぎりだよ。きゅうなことだもの。」

「おやおや、それでは、食いでの無賃ですかい。そりゃあもうかった。」

おじいさんが大声でわらいました。食いでの無賃とは、べんとうじぶんもちで、ただばたらきということです。一郎はしごくにこにこして、いつもよりずっとおしゃべりになっていました。

 一郎が、島の子たちと、だんだん仲良くなっていき、楽しく島のくらしも覚えはじめていきます。

 

 一郎の誕生日に友達を招いてお祝いをすることになりました。)

「ごちそう、してあげたよ。小豆島へきてはいめての誕生日だもんね。うでによりをかけてさ。きっとチロちゃんもすきだと思うものよ。なんだ?」

一郎が学校へいったあと、おばさんがどんな思いをして、長いあいだ獅子雄(劣ら叔母さんの戦死した息子)の写真を見ていたか、一郎は知るはずがありません。そのあと、きょうのお祝いのために、また着物を売ったり、白米やさかなを手に入れるためにかけまわったことなど、なおさら知りません。

ただもう一郎はうれしくて、にこにこしていました。

 この小説で、私の一番好きな場面です。

おとらおばさんの愛情と、お母さんをなくして、熊谷をいつも懐かしんでいた一郎が島の友達と仲良くなり、小豆島のくらしに関心も移っていきます。

お誕生日会一つ行うにも、当時は食料調達の苦労があり、そのためにおとらおばさんは、自分の大切なものを手放さなくてはいけなかった…。

おとらおばさんの一郎への深い愛情が感じられて、胸がジーンときます。

 

 

 

悲しみに暮れている暇もなく、毎日毎日を過ごしていくことに精一杯で、そのうちかけがえのない大切な人を亡くしたつらい体験も、いつしか思い出となっていく…

そういう心の流れが、なるべくしてなったというべきか、ごく自然に感じられる小説でした。

 

6.結びに変えて

 いかがでしたか?

個人的には『二十四の瞳』より好きな小説です。

児童文学なので、小難しい小説ではありません。

きざな言葉で恐縮ですが、優しい、そして愛に満ちた小説だと思います。

大人でも、ぜひお勧めしたい小説です。

 

 

最後になりましたが、戦争に関する私の考えを知っていただきたく、昨年の記事をリンクしますので、読んでいただければ幸いに思います。

 

 

gracedusoleil252525.hatenablog.com

 

 

今日も…日日是好日

 

 

 

 

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二十四の瞳』は、文庫本がありましたよ。