皆さん、お彼岸は何をして過ごされましたか。
私は、家族でお墓参りに行きました。
穏やかな天気だったので、お墓詣りが終わって、もうちょっと足を伸ばしてみようかという事で、糸島半島の方へドライブに行きました。
糸島半島と言えば…
先日投稿した記事です!! ↓
gracedusoleil252525.hatenablog.com
桜井の二見ケ浦に行きたかったのだけど、ちょうど秋分の日の日の入りと重なって、凄い渋滞でした。
桜井二見ケ浦の夫婦岩 引用:糸島市観光協会公式ホームページより
こんな気持ちのいい日なんだから、このまま、ただでは帰らないぞ…という事で、
伊都国歴史博物館へ、方向転換。
では、さっそく写真でご紹介!!
入り口です。
10年ぶりかな。
久しぶりに、訪れました。
これは、入口に咲いていた彼岸花。
白い彼岸花を初めて見ました。
チケット売り場の横にあった、10円をいれてダイヤルする電話。
このブログをお読みの方も初めて見た、という方がいらっしゃるのでは?
えっ、私?
残念ながら、私は懐かしさを感じる世代です。(笑)
それでは、いざ展示室へ
平原王墓(2世紀ごろ)から出た銅鏡。
一番大きい鏡ではないけれど、まあまあのショットです。
一番大きな銅鏡は 直径46.5cmの平原遺跡からでた 内行花文鏡です。
8kgあるそうで…5kgのお米より重い…
下の写真のように使うそうです。
ということで、内行花文鏡を復元すると…
あっ、ピカピカ!!
迫力ありますねぇ。
かがみよかがみ、この国で、1番美しい人はだ~れ?
(それ、わたし…笑)
平原王墓から出たアクセサリー。
赤色?茶色?が濃くて、魅惑的です。
甕棺もろもろ。
同時代の中国の衣装から想像した伊都国の女王のお姿。
平原王墓は女性が埋葬されたと考えられており、ここから出たアクセサリーのレプリカを身に着けています。
推定年代通りなら、卑弥呼より前の時代で、
奴国の王が金印を貰った時(57年)よりは後の時代。
私たちがよく知っている和服とよく似ていますねぇ。
質感とか、前合わせの着方とか、袖とか。
資料館の展望台から見える遺跡。
パネルになっています。
これは、その一つ。
資料館を出てからは、細石神社に行きました。
あらっ、小さいなぁ。
そもそもは、大きな神社だったらしいけど、豊臣秀吉に神田を没収されたそうです。
細石神社から数百メートルで、王墓と言われる三雲南小路遺跡(紀元前1世紀頃)とか井原鑓溝遺跡(1~2世紀頃)があります。
どちらも伊都国の王墓と言われています。
三雲南小路遺跡
え、これだけ?
およそ、観光地と言う雰囲気ではありませんね。
でも、銅鏡35面、銅剣、銅戈、銅矛、勾玉など当時としては巨大な墓で、埋葬品も豪華だったそうですよ。
中央の山が可也山。
糸島富士と言われています。
このあたりに朝鮮系の渡来人がいたのでしょうか。
安曇族との関わりは如何に?
のどかな田園。
なぜだか、ほっとする風景です。
実るほど頭を垂れる稲穂かな
まだまだ遊びたかったけど、娘がアイドルの出るテレビを録画し忘れたということで、家路へ。
それでも、いい気晴らしになりました。
改めて、自分が描いていた伊都国の輪郭がぼやけ、より迷路に入り込んだ感じです。
しかし…。
だからこそ、古代史はロマンがあり、面白い…。
※ 参考
今日も…日日是好日。
p.s.
夜、散歩に行くと、そこはかとなく金木犀の香りが…。
もう、そんな季節なのですね。
金木犀大好き!!
桂花陳酒も大好き!!(笑)