今週のお題「しごとの思い出」
仕事の思い出と言っても、一杯ありすぎて何を書いていいかいっちょん分からんちゃんねー。
学生時代のアルバイト、就職した職場での出来事、つい数年前までしていたアルバイト、専業主婦ならではの家事について等々…。
という事で、今日は、学生時代にしたちょっと面白いアルバイトについて思い出したけん、そのことについて書くけんね。
とまぁ、書き出しが変な導入文になってしまいましたが…。
改めて、学生時代にした単発のちょっと風変わりなアルバイトについて書きます。
大学時代ですから、もう30年以上前のお話です。
そのアルバイトは1日もののアルバイトで、日当もいいからといわれて、友達に誘われて参加しました。
家に帰ってきた時は、喋り疲れて喉はガラガラ。
でも、楽勝のアルバイトでした。
さて、どんなアルバイトでしょう?
私も参加するまでは分からなかったのですが、そのアルバイトは某大学のどこかの研究室主催の、ひたすら方言を喋らせるアルバイトでした。
まず、紙を渡されます。
その紙には、色々な文章が共通語で書かれています。
それを、方言に変換して喋っていくんですよね。
録音されていたからきっと、イントネーションとかもチェックしていたのではないのかな。
冒頭の文で、もうお察しかもしれませんが、私の出身は福岡です。
自分では博多っ子と思っていますが、
「博多っ子とは福岡の中心部を流れる那珂川より東から博多駅方面の商人の町で生まれ育った人たちを指すんだよ。」
と、生粋の博多っ子と自認している人からはよく言われました。
江戸時代は那珂川より西の方面、福岡市の中心街である天神や江戸時代に福岡城があった場所は、博多と区別されて福岡と呼ばれていました。
明治時代に福岡市誕生した時、その名称を福岡市にするか博多市にするか揉めて、投票で福岡市となったそうな。
で、アルバイトに話を戻すと、自分と友達でさえも住んでいる所が違うので、喋り言葉は微妙にイントネーションや言い回しが違う。
ましてや、お昼ごはんの時知り合ったいわゆる生粋の博多っ子であるアルバイトの学生さんは、ちゃきちゃきの博多弁を話していました。
雑談の時は、別に話が分からないという事はなかったけど、紙に書いた文章を早口で博多弁で話しているのを聞くと、福岡で生まれ育った私でも何を言っているのか分からない事もしばしば。
おそらく武田鉄矢さんとかが話す博多弁は、全国向けに少し分かりやすく話してくれているのかな、と思います。
今は、テレビも普及し、日本や世界の人とすぐにコミュニケーションがとれる時代だから、方言はだんだんすたれていってしまうのかな?
あのアルバイトのデータが、貴重な資料となっている事を願っております。
ところで冒頭の写真は、博多祇園山笠で有名な櫛田神社の、節分前後に飾られるお多福さんの写真です。
博多祇園山笠の起源は諸説あるそうですが、その一つは鎌倉時代に博多で疫病が発生し、疫病退散の祈願が起源だとか。
新型肺炎も、一日も早く退散しますように。
………
それでは。
山笠があるけん、博多たい!!
今日も…日日是好日。