皆さん、お久しぶりです。
お元気でいらっしゃいましたか?
私にとって、お正月前から2月の下旬まで、怒涛のごとく過ぎていきました。
そして、いつの間にか、ブログ開設2周年の記念日も終わってしまいました…。
さて、前回父の調子が悪いことをブログに書きましたが、実はその後、父の健康状態は急速に悪化して、とうとう永遠の別れの時を迎えることとなりました。
そして、2月下旬に四十九日を終え、忌明けを迎えたところです。
…と、いう訳で前回のブログを投稿してから、またもや長いお休みをしてしまいました。
そのよう中で、優しいお心遣いや、応援のメッセージを下さいましたブロガーの皆様にどれほど元気づけられましたことか…。
改めて、御礼申し上げます。
また、感謝と言えば、父が倒れた時から、周りの方々に感謝する事ばかりでした。
今回は、その話をしたいと思います。
MRIと心電図と血液検査の結果から、主治医のK先生(訪問医療の先生です)に、
「まずはお薬を2週間ほど飲んで、様子を見てみましょう。」
と言われ、その日は介護施設に戻りました。
しかし一旦落ち着きかけてい父の調子は、正月明けに急に悪くなり、とうとう入院することに…。
更に、入院した時は父に面会は出来たのですが、入院して2日後にはオミクロンの流行のため、なんと面会禁止というショッキングな通告が!!
(今から考えると、福岡の感染者のピークは5000人越え。まだまだ、この時はこの20分の1もなかったのですよ。)
唯一、週1回洗濯物を持っていく時に、予約制でしかも病院の一室でズームで面会を許可する、という大変厳しい対応となりました。
しかも、たった5分。
ズームなのに…。
そのためか、夕方には必ずK先生が父の状態を電話で伝えてくださいました。
そして先生が言うには、
「今の状態では、お父さんは退院するまで(そもそも1ヵ月の入院予定だった)、生きていられるか分からない。
このような状況だから、いっそのことご家族が自由に面会できるように、お父さんを退院させましょう。」
実際、父の調子は日毎に悪くなっていっておりました。
父の体調が悪くなったからこそ退院させるということは、先生にとってかなり勇気のある発言だと思います。
それで、先生のおっしゃることをありがたく受け取り、兄妹で今後の流れを確認したのち、すぐに介護施設に話をしました。
介護施設の方でも、幸いなことに、その日からすぐ受け入れ態勢の準備に入ってくださいました。
- 父のベッドを、床擦れがしないようなベッドに代えること。
- 痰をを今までより頻繁ににとること。
- 部屋の中にレンタルの浴槽を入れること。
- 食事は全介助でゼリーを食べさせること。
- もう使わない車椅子や、リハビリのための諸道具を返却すること。
などなど。
その日から様々な打ち合わせのために、ケアマネージャーさんから頻繁に電話もありました。
いよいよ父の退院の日も決まり、後は移動するだけという時。
私は以前から気にかかっていたことを先生にお話しました。
それは、一度、家に父を連れて帰りたいということでした。
家に入れないまでも、庭だけでも父に見せてあげたい。
これは、父が介護施設にお世話になって以来、ずっと気にかかっていたことでした。
けれど父の体調やコロナの流行で、なかなか外出の許可が出なくて、いまだ実現しないままだったのです。
私の家は、父が福岡に転勤してきて永住を決め、脱サラした後に建てたという、思い入れのある家です。
ただ、坂道の上の方(山と言ってもいい)にあり、階段も多く、自宅で介護するには不向きな家でもありました。
私「先生、父を退院させるとき、1分でもいいから自宅に帰省させたいのですが…。」
先生「ここから自宅まで1時間弱ですね。そこから介護施設まで更に40分ですか…。ちょっと考えさせてください。」
自宅は病院から遠いし、無理して連れて行っても、意識が朦朧として、自分がどこにいるのか把握できないかもしれない、とのこと。
しかし、それから、30分くらい後でしょうか。
先生からまた電話がかかってきました。
「やはり、家に連れていきましょう。一度介護施設に戻ったら、二度と外に出ることはないでしょうから。」
因みに、退院の日はK先生のお休みの日でした。
在宅診療の先生は、出勤の時は訪問する患者さんの予定が詰まっていて、自由な時間がないそうで、退院の日はお休み返上で父に付き添ってくださるとのことでした。
さらに、退院のための介護タクシーの予約をしよう、という話を聞いた介護施設の施設長さんが、
「車の使用予定がないので、私が運転して実家まで連れて行って差し上げましょう。」
と申し出て下さいました。
K先生と言い、ケアマネージャーさん、施設長さん…皆さん、なんて優しいのでしょう。
優しさの連鎖は、まだまだ続きます。
いよいよ明後日が退院という日。
11時頃でしょうか。
K先生から電話がありました。
先生「お父さんが危篤なので、すぐ病院へ来てください。」
私「今の時期、病院は患者が臨終でも家族は面会できないと聞きましたが…。よろしいのでしょうか?」
先生「そのことについては、私から病棟のスタッフに話をするので、すぐ来てください。」
それならばと、厚かましく兄達も面会できるように頼みましたが、さすがに兄達は、面会はできませんでした。
さて、病院に着くと、テレビでよく見るC国の防護服みたいな恰好をさせられました。
そして、先生の電話では面会を5分だけできるようにした、と言われたのですが、
「お父様は大部屋からお室に移しましたよ。だからゆっくりお会い下さい。」
と、看護師さんに言われました。
おかげさまで、スタッフの方々のご好意により父の臨終まで1時間ばかり、立ち会うことができました。
父と二人きりになって…
聞こえているか分からないけど、ひたすら今までありがとう、と感謝の言葉を言い続けていたような気がします。
……さらに個室なのでこっそり画像付きライン電話で父を映して、兄達に送り、父の耳元にスマホを近づけて、兄の声を聴かせていました…。
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その日はK先生は在宅診療中で、その場には居合わせませんでしたが、全てが終わった後の待ち時間に、お電話をいただきました。
そして…
やはり気にかかっていたことは、父を生きている時に帰省させられなかったこと。
葬儀会社の運転手さんに事情を説明すると、葬儀会場へ父を連れていく途中で、我が家に寄ってくださいました。
そして、私の家の前に車を止めると、父の顔にかけていた白布を取って車のドアを全開にして、父の家への最後の別れをさせて下さいました。
ちょうどその時、夫が家の玄関前に立っており、父の傍に庭の夏みかんを置きました。
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それから、お通夜、お葬式他の法要関係、役所への手続きなど一転、事務的な作業が怒涛の如く始まります…。
今も継続中です…。
思い返してみれば、父が入院してから慌ただしい中にも、周りの人の優しさに包まれてばかりでした。
その時はその心遣いに思いを馳せることが出来なかったのですが…。
ただただ感謝したいです。
改めて…
この場でお礼を言わせてください。
K先生をはじめ、病院のスタッフの方々、ありがとうございました。
介護施設のスタッフの方々、ありがとうございました。
葬儀会社の運転手さん、スタッフの方々、ありがとうございました。
お兄ちゃん、夫と子ども達、情緒不安定となりかけていた私を支えてくれて、ありがとう。
そしてブロガーの皆さん、私が落ち込んでいた時に励ましの言葉をかけて下さり、本当にありがとうございました。
後日譚
お葬式、初七日が終わり、お骨が私の家へ戻ってきました。
ひさしぶりの自宅です。
娘は、翌朝おじいちゃんに見せるのだと言って、骨壺を持って庭を歩いていました。
今日も…日日是好日。
p.s.1
次回は、コロナ大流行の中で行った今どきのお葬式事情について、お話しようと思いましたが…
気がついたら、劇団四季『キャッツ』の千秋楽(4月17日)が迫っていました!
と、いうことで、そのレポートを先に投稿したいと思います。
p.s.2
今から、ゆっくりではありますが、ぼちぼちと皆さんのブログに遊びに伺わせていただきますね。
皆さんとの再会が楽しみです!!